昨日、放送大学の通信課題を解禁日の初日でした。
5月末は、北海道学習センターへの面接授業もあるし、永井荷風新人賞を書くことにも全振りしなければならないので、
それぞれ、仕事との両立に注意が行くと、通信課題のことを完璧に忘れそうでした。
それでは困るので、昨日、すぐに解答して提出、1つミスで90点。
「映画芸術への招待(’25)」は難問が多いので、予想よりは高得点だったかな。
さて、毎回、こんな小説にしようと見本モデルの作品をいくつかイメージするけど、放置していると2・3日で消えてゆく。
ひと月経つと、どういう点をイメージしたのか、書名は思いだせるが、そのイメージ点がさっぱり思い出せない。
半年すると、モデルにしたことすら忘れてしまう。
作品化できたら、まだ少しは覚えているけど。
それは詩を書く際のもやもやと似ている。
モヤモヤは日を経ると、同じように徐々に消失してゆき、詩として作品化して書くと安全に消えちゃうんですね。
今、モデルとなる小説を読んで、「あっ、これだ!」と思えているのは、すごくラッキーなことなんだよね。
成長につれて、このモデル作品が変わるだけでなく、全くイメージ化できなくなる期間も長く続く場合もあるから。
さて、ずっと話題にしている、この額賀さん方式で構想を練るポイントで、自分の小説創作の地力が到達しているんだろうか、と冷静かつ残酷に分析してみた。
梗概の抽象性から具体的な人物やエピソードへ落とし込む力が微弱すぎ。
その弱わすぎるのは、シーンをきっちりと読者向けに構成できないことや、読者へ向けて情報の優先度意識が皆無なこと、と連動している思う。
また、逆に、詩を書く際の、その場での思いつき優先で無意識くん主導での情報全部書き感覚が身についている弊害だと思う。
詩を書く際と、小説を書く際の発想の仕方を混同しているのが、そこから脱却できない原因でもあるんだろうな。
だから、勢いで書ける短編なら、なんとか小説らしさは保てるけど、100枚になると破綻するのだ。
それは思いつき書きと、読者への情報の精査なしの全部書きだからだろう。
その状態を「才能がない」で、才能天授主義で思考停止してたら、弱点認識できない。
すると、永遠に、上の段階へ、前へは進めないで当たり前じゃないか、と思う。
この分析、結構、図星だと思っています。
足りない地力は、そこまで低レベルなんだったら、逆に少しでも鍛錬してやれば、少しはマシになるはずで、
すると、逆に大幅向上が期待できるな、と感じています。草www
今日は午前中、仕事。
帰宅後は、創作力の鍛錬に勤しみます。



