今日はいろいろな話題。星新一から「これは経費で落ちません!」の青木祐子さんまで | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

今日はいろいろな話題を書きます。

まるでジェットコースターのように上がり下がり、斜めに傾いて曲がります。笑

 

まず、昨日は、ここで何度も告知していた京都芸術大学の読書会・特別講義を午後、受講しました。

ショートショート界の神である、星新一の連作短編集『声の網』がテキストでした。

僕は、全部読み切れず、途中まで読んで参加しました。

 

 

 

 

〈「メタ読み」を学ぼう〉というキャッチコピーの講義自体は、残念ながら、僕にとっては既知の知見でした。

先生から、冒頭紹介された、廣野由美子『批評理論入門:「フランケンシュタイン」解剖講義』の参考本は、

僕も文芸コース在学中に購入しましたし、詳しく読み込んでおりました。

 

 

 

ですから、前半の講義内容の、小説を構成・構造から読むことは、僕にはほぼ体得している当たり前のスキルでした。

さらに、正直に言うと、この星さんの『声の網』ですが、刊行年が1970年で、かなり古い時代設定で、また、シートショート(SS)というには、各短編が長いんですよね。

冒頭の1篇目が33枚、2篇目が50枚。

しかも、冒頭1篇は、いつもの星さん風で、名前を与えないものの「N氏」とか抽象化した人物名ではない。

なのに、2篇目は「ミエ」とカタカナであるものの、固有名詞が与えられている。

 

名前のことなど些細なことなのだろうが、一事が万事で、抽象化もされないし、具体的な記述でもないしで、星新一のSSファンとしては、

語り口のそのものがすごくどっちつかずで中途半端に感じる。

何よりも、オチも捻りも社会風刺もあまり鋭利さに欠け、全くつまらなくて、最後まで読み通せなかったんですね。

 

でも、たかが電話で、現代のネット社会や情報化社会、AIを思わせる先見性があって、そこはさすが巨匠・星新一でした。

 

 

 

さて、その後、僕は例のオレンジ文庫『短編小説新人賞アンソロジー』の読み残し短編作品を分析読みしていました。

それは、ラストの作品の、森ノ薫さんの「ホテルアムステルダムの老婆」だったんですが、無事、面白く読み終えたものの、

それが、その30枚という長さなのに、星さん作品よりも数百倍、面白かったんですね。

 

いや、逆か、ここ数日、この短編集を読み返しているから、星さんの同程度の30枚の枚数やそれより多い50枚の凝集度の差が気になったんですね。

もちろん、星さんの連作であることと、いつものSSの5-15枚の星ワールドの定番枚数でなかったんだから、一見同じ30枚世界でも違って当たり前です。

それでも、ガッカリ感は拭えませんでした。

 

それから、録り溜めているオンデマンドの佛教大学OLCの日高教授の村上春樹短編集『中国行きのスロウ・ボート』の講義を途中まで視聴して、僕は床へつきました。

 

ところが、です。

結構、リアルな夢を見ました。

職場で、若い人と、僕も30歳ほど若がえって、新しい道の勤務先に行って交流している夢です。

小雨が降っていて、足元は泥まみれ、軒下から軒下へ移動しつつ、案内されていたり、

錆びついた鉄筋が妙にリアルでした。

一転、晴れて、若い人と作業をしてるんですね。

(僕の夢は、時々映画のようになります。

 カメラアングルがアップで視点へ寄せたり、俯瞰ショットになったりします。笑)

 

新しい未知の職場だったからでしょうね。

すごく「違和感」を感じていました。

しかも、この夢、一昨日も見た夢の続きなんですよ。

 

なんでこんな夢を二日連続で見たか、思い当たる節もあるんですが、ここには書けません。

問題は、そこじゃなくて、まるで東野圭吾の大学教授探偵「ガリレオ」のドラマ、福山雅治くんみたいに、チャララン♫とBGMこそ鳴りませんでしたが、

ふっと天啓が降りてきたんですよ。

 

ここで、前記の、森ノ薫さんの「ホテルアムステルダムの老婆」に話が戻ります。

 

この作中で、主人公の女の子は、老婆に「あんたはあたしだよ」の台詞を受けます。

それが、一種の呪術的な縛りになっている展開の作品でした。

 

でも、そうした言霊的な解釈は僕が無意識に感じただけで、微塵も見せずに、最後まで描き切っています。

 

そうなんです。

まるで芥川龍之介の、あの「羅生門」の下人を呪縛した老婆の台詞と同じ「縛り」だ、と、無意識に「違和感」を、僕は感じてしまっていたみたいなんです。

この「ホテルアムステルダムの老婆」では、ラスト少し前に、その老婆からもう一度、主人公に語らせます。

「でも、あんたはそのうち、あたしじゃなくなるだろうよ」と。

そう伏線回収しつつ、ズラした作者の手腕はお見事。

 

かつ、主人公がその台詞を単純に受け入れず「そうは言うけれど、油断はできない」と別の世界線・未来を暗示するのも見事でした。

さらに、最後の行では、こう主人公に内省させて閉じます。

 

「ネオン職人という存在をあたしは知る。そしてあたしは逃げる。

 いつかどこかのゴミ捨て場でポリ袋みたいにうずくまる未来から逃げ切れるよう、力の限り走り始める」

 

この一文には、僕は完敗でした、いや、乾杯したくなる凄さがある、と感じました。笑

また、これを選んだ、あの「これは経費で落ちません!」の作者・青木祐子さんの講評も素晴らしかった。

 

ぜひ読んで欲しいです。

 

でも、今日は、もう一言あります。

冒頭で、貶してしまった星さんの『声の網』ですが、この連作短編もある種の、「違和感」と元にした電話の「縛り」をどんどん繋げてゆく物語だったんじゃないか。

そう、朝、夢から覚めるときに、僕の中へ天啓のとうな認識と知見が降りてきたんですよ。

 

僕は、何が言いたいのか?

つまり、【違和感を与える存在と、その縛りで、物語は構成されうる】という知見を、一瞬で認識した、ということです。

福山雅治くん演じる、天才物理学者のように、謎を解けた気がしたんです。

 

もういくつもの偶然を集めた結果の、シンクロニシティでした。