エンタメ系長編小説の創作は匍匐前進中です。
9:00、154枚で、昨日よりプラス8枚です。
この調子なら、あと一週間ほどで、200枚には達するでしょうか。
たぶん、もう構成は決まっているので、一気呵成に3日ほどで書ききれなくもないのですが、まだ締め切りまで余裕があるので、わざと、いろいろ小休止しながら、書き進めています。
8/5(土)の、このブログで、今年度の残りに書きたい長編小説の予定を、以下のように書きました。
【’25年度の到達目標】
8月: 小説 野性時代新人賞・改作だがほぼ新規 200枚(エンタメ)
9月: 文學界新人賞(去年、同賞の落選作の再改稿) 150枚以下(純文学)
10-11月: 太宰治賞・新規 150-250枚(純文学)
12-1月上旬: 集英社ノベル大賞・児童文学過去作の改作 256枚以上(エンタメ・ライト文芸?)
1-3月: 永井荷風新人賞(三田文学)の落選改作→すばる文学賞 100枚以上(純文学)
小説すばる新人賞・児童文学の改作か新規? 300枚?(エンタメ)
ほんと、予定を書くだけなら自由なので、好き勝手に書いているだけですが、その予定に沿って、ただ書くだけだと、毎年と同じなんですね。
それを、今年は辞めようと思っています。
去年よりは、ここ数日、書いているように、小説の書き方や書き方の理解が進んではいても、それらですら、まだまだ亀の歩みかもしれないと思っています。
なんせ、もともと、18年前、僕は数枚の童話ですら、まともに書けないレベルでしたし、詩なんて一切、書けませんでしたから、
詩でちゃんと受賞できていることや、小説・散文系でごくわずかとはいえ地方コンクールで入選・入賞できていることも、本当は褒めてあげたいところです。
でも、それらは決して「数を書けば、やがて書けるようになる」といった、僕の名付けた【書け書け式】で書けるようになったのではなく、
様々な読解スキルと、文章創作スキルの発見、文章感覚の組み換えがあればこその成功だと思っています。
そのスキルというのも、ちょっとした気づきだったり、発想の転換といった、ごく僅か(だけれど、凄まじく大きな効果のある)な、意識の組み換えなんですね。
いわば、普通なら、通り過ぎるものを、ふとバックトア的に奥義へ至る近道や、うまく入れる侵入路になっていたりするものです。
また、世の中には、小説家としての名声や、その著作より、小説の書き方マニュアル本の方が有名だったりする人がいます。
その、数多のマニュアル本作家の代表的な存在が、鈴木輝一郎さんであり、ライトノベルでは榎本秋さんだと思います。
榎本秋さんは、一度、講座を受講したこともあり、なるほどなあ、とその発想法に触れて、すごいと感心もしましたし、その著作もたくさん持っています。
鈴木さんについては持っているのが1冊ほどで、今、数冊、図書館で借りてきました。
今回、井戸川射子さんの、純文学が「人ならざる者」へ書くという発想だけで、エンタメ系小説との違いや、現代詩との共通点が「深く理解でき」悟ることができました。
(それはうまく言語化できません。感覚的なものなんです)
きっと、この〈感覚的な知見のあと一歩足りない段階〉には、僕は到達できていると信じたい、です。
短編小説はそれなりに書けていると思うのと、変に、現代詩感覚があるのが、僕のメリットであり、デメリットにもなっていると思うので、
榎本秋さんと、鈴木輝一郎さんのマニュアル本を、集中的に読み直そうかと思っております。