匍匐前進。長編小説は153枚に。 | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

エンタメ系長編小説の創作は匍匐前進中です。

9:00、154枚で、昨日よりプラス8枚です。

この調子なら、あと一週間ほどで、200枚には達するでしょうか。

 

たぶん、もう構成は決まっているので、一気呵成に3日ほどで書ききれなくもないのですが、まだ締め切りまで余裕があるので、わざと、いろいろ小休止しながら、書き進めています。

 

8/5(土)の、このブログで、今年度の残りに書きたい長編小説の予定を、以下のように書きました。

 

【’25年度の到達目標】

 

8月: 小説 野性時代新人賞・改作だがほぼ新規 200枚(エンタメ)

9月: 文學界新人賞(去年、同賞の落選作の再改稿) 150枚以下(純文学)

10-11月: 太宰治賞・新規 150-250枚(純文学)

12-1月上旬: 集英社ノベル大賞・児童文学過去作の改作  256枚以上(エンタメ・ライト文芸?)

1-3月: 永井荷風新人賞(三田文学)の落選改作→すばる文学賞  100枚以上(純文学)

     小説すばる新人賞・児童文学の改作か新規?   300枚?(エンタメ)

 

ほんと、予定を書くだけなら自由なので、好き勝手に書いているだけですが、その予定に沿って、ただ書くだけだと、毎年と同じなんですね。

それを、今年は辞めようと思っています。

去年よりは、ここ数日、書いているように、小説の書き方や書き方の理解が進んではいても、それらですら、まだまだ亀の歩みかもしれないと思っています。

なんせ、もともと、18年前、僕は数枚の童話ですら、まともに書けないレベルでしたし、詩なんて一切、書けませんでしたから、

詩でちゃんと受賞できていることや、小説・散文系でごくわずかとはいえ地方コンクールで入選・入賞できていることも、本当は褒めてあげたいところです。

 

でも、それらは決して「数を書けば、やがて書けるようになる」といった、僕の名付けた【書け書け式】で書けるようになったのではなく、

様々な読解スキルと、文章創作スキルの発見、文章感覚の組み換えがあればこその成功だと思っています。

 

そのスキルというのも、ちょっとした気づきだったり、発想の転換といった、ごく僅か(だけれど、凄まじく大きな効果のある)な、意識の組み換えなんですね。

いわば、普通なら、通り過ぎるものを、ふとバックトア的に奥義へ至る近道や、うまく入れる侵入路になっていたりするものです。

 

また、世の中には、小説家としての名声や、その著作より、小説の書き方マニュアル本の方が有名だったりする人がいます。

その、数多のマニュアル本作家の代表的な存在が、鈴木輝一郎さんであり、ライトノベルでは榎本秋さんだと思います。

榎本秋さんは、一度、講座を受講したこともあり、なるほどなあ、とその発想法に触れて、すごいと感心もしましたし、その著作もたくさん持っています。

鈴木さんについては持っているのが1冊ほどで、今、数冊、図書館で借りてきました。


 

 

 

 

 

今回、井戸川射子さんの、純文学が「人ならざる者」へ書くという発想だけで、エンタメ系小説との違いや、現代詩との共通点が「深く理解でき」悟ることができました。

(それはうまく言語化できません。感覚的なものなんです)

 

きっと、この〈感覚的な知見のあと一歩足りない段階〉には、僕は到達できていると信じたい、です。

短編小説はそれなりに書けていると思うのと、変に、現代詩感覚があるのが、僕のメリットであり、デメリットにもなっていると思うので、

榎本秋さんと、鈴木輝一郎さんのマニュアル本を、集中的に読み直そうかと思っております。