見えるぞ、見える、私にも見える。「成瀬は天下を取りにいく」 | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

「見えるぞ、私にも見える」は、アニメ・機動戦士ガンダムのファーストにおけるシャアの言葉でした。

ちょうど、今、話題の、ファーストでの別の世界線、ジオン公国の勝利を描いている「ガンダム・ジークアクス」でも、

そのセリフに近いものを、ゼクノヴァ現象として描いてしますよね。

 

僕も毎週、楽しみに観ています。

また、いつか、感想を述べてみます。

 

さて、昨日、書いたように、秋の9・10月〆切の文芸誌系の、文學界新人賞と群像新人賞向けの原稿は、また描き始めるのせよ、

今は、エンタメ系の、小説現代長編新人賞へ向けて作品を完成することを決心しました。

 

でも、そのまま書く作業に入る前に、今回、手に入れた、この感覚で、過去に読んだエンタメ話題作を分析し直しています。

 

この『成瀬は天下を取りにいく』は本屋大賞を受賞する前から、僕は読んでおりました。

某児童文学教室の読書課題になっていたからです。

 

主人公の少女が、中学生で年齢的に、やや児童文学的であるのですが、

配慮とかもなく、完全に大人視点で描かれております。

それでも、誰もが楽しめる、青春小説であることは変わりありません。

 

僕は、’23年度に全力で児童文学作品を書いて、200-300枚クラスを2編、書き上げて応募するも、

見事に1次選考すら通らず、もう断念した経験があります。

 

でも、今、冷静に、自作と書く姿勢を振り返ってみると、完全に【ストーリー展開に呪縛】され、

間違った書き手側優先ファースト姿勢で終始して、かつ、「書くあるべき」と思い込み、全てを書きこむ書き方以外は認めない、独りよがりな書き方でした。

 

いや、この’23年度だけじゃなく、16年間、ずっとそうだったんだ、と今はわかります。

いつか、児童文学の長編を再開することもあるとは思いますが、

(短編は、「ニッサン童話と絵本のグランプリ」だけは書きます)

きっとそれは今の大人文学スキルでプロ作家になってからか、なりかける最後に講談社児童文学新人賞への応募だと考えています。

 

児童文学は制約が多いジャンルです。

言葉が優しくていいから、書きやすく見えるんですが、実は非常に特殊だ、と今は考えており、中途半端なスキルで臨むと、また戻ってしまうんじゃないか、と考えて非常に警戒しています。

もし、いくつか応募したものが最終選考まで行った連絡を、来年1・2月までに貰ったら、慌てて、3月末〆切の講談社児童文学新人賞へ、

過去の落選作をそれこそ、新スキルで書き換えて応募してもいいかな、と思っていますが。笑

 

さて、この『成瀬は天下を取りにいく』は、題名の秀逸さと中身のギャップ、ユーモラスな描き方、語り口など、ベストセラーになるのは、

頷ける面白さです。

前に分析読みした時には、ただ上手いと感心するだけだったんですが、

今回読むと、話の構造が見えました。

また、出てくる人物群渦ごとの深め方、絡み方が見えるし、その人間関係のズレが(いい意味で)気になりました。

書いている事柄じゃなくて、文章としては書き表されていないけれど、展開や対比関係としては、こうなんだが、すごく「見え」ました。

 

必要以上に、主人公へ肩入れしていないし、書き手でなく、読み手を楽しませる姿勢を大いに感じました。

ユーモラスな点は、落語の語り口です。

(それこそ、去年、落語を研究したのが役立ち、活きてきました)

冒頭で書いた、「見える、私にも見える」という、まるで異界を覗き込んだ自分の状態を感じました。

 

ああ、読み手ファーストって、こういうことか、と理解しました。

人物構造を踏まえることと、書いてない伝達情報がいかに大事か、それをもっと徹底して、自家薬籠中の物にしないといけません。

そのための、この小説現代への挑戦です。

 

今日は午前が仕事。

溜まったオンライン講座の、見逃し配信を視聴するのに必死です。

期限ギリギリなので。