昨日、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』の中古本を買いに、近くのブックオフへ行きました。
実は、この本、文庫本で1冊(もしかして2冊かも)、単行本で1冊、電子書籍で1冊、すでに持っています。
ところが、探しても探しても埋もれて、それらが出てこない。見つからない。
もちろん、電子書籍では、すぐ読めます。
コメントも記入できます。
でも、オンタイムですぐ記入したいのに、文字化するテキスト打ちだと、その、数秒の間接時間がもったいないし、まどろっこしい。
イライラして、ストレスが溜まるんですよ。
で、大きな三宮のブックオフだと450円もするので、どこかにあるので、躊躇。
ここだと少しでも安い(390円)んですよ。
さらに、500円以上だと100円引きクーポンが使えるので、もう1冊、買おうかと物色。
ところが、つい3/14の2日前にあたはずのお目当て本、細谷功さんのものがない。
あちゃー、売れちゃったか。
でも、いい本だから、売れて嬉しい(読書家の共感)。
困った、困ったぞ。
で、物色してると、前に見た伊坂幸太郎の選の短編集『小説の惑星 オーシャンラズベリー編』が見つかり、これを購入する。
早速、家で分析読みをして、冒頭の永井龍男「電報」を読む。
面白かった。
巻末の、伊坂さんのコメントをすぐ読み、感心する。
なるほど、そう来たか、ふむふむ。
前に、100枚以上の長い小説の構造と書き方が、やっとわかってきた、だから、それを【自分2.0】になった、と書きました。
小説とは、「書かれていない現象をめぐって、太陽の周りを回るように、「舞台」や「人物環境」をしっかりと描けば、
小説が成立するんじゃないか、と実感が生まれた」と報告しました。
もちろん、そう感じた理論的なことと、実際に「書けること」の実践との間には、大きな溝があることは学ビストたる僕には自明のことです。
で、それを埋めるのが、実際のプロの先達作家の作品であり、それをプロ作家がどうとらえているか、
自分との感覚の開きを調整することが必要ですよね。
この本、近代文学の作家から昭和の作家、平成の比較的近い作家までを網羅しています。
しかも、それを僕のお気に入り文体で書く伊坂幸太郎さんがコメントするという理想的な本だったのですね。
大満足です。
で、すぐ、もう1冊のオーシャンラズベリー編も注文しました。
届くのが楽しみです。
さて、先日の、「日本現代詩人会ゼミナール2025」で学んだ観点で、蜂飼耳さんの詩集を読み直して、
これはこれで、すごく納得できて、そこに、今のこの小説感覚を混ぜると、新しい詩の形式で書けそうに思いました。
もう頭の中で、70%完成したイメージになっています。笑
でも、それは楽しいので、後回しで、とにかく小説を書かないといけません。
ところで、昨日、一つちょっとした事件がありました。
電話をある方からもらって、驚いたことなんですが、差し障りがあるので詳細は書きません。
でも、思ったことだけ、ここに書きます。
というのも、この今日の記事は学ビストとしての満足な報告で、それと関連するので。
根っからの学ビストな僕は、たとえ年下でも、自分より優れた人や才能に出会ったら、すぐ教えてほしい、学びたい、と思います。
教えられるのが無理なら、師の背中から学び、いい意味で盗み取ればいいと思っちゃいます。
その人の足を引っ張ろうとか、その学びを独占しようとかは一切、思えないです。
だって、学ぶのは生徒の自由だから。
教える側の教師の醍醐味は教えることで、自分の理解がより理解が深まり、生徒が成長することで実証されることですしね。
これは、僕には絶対的な真理としてあります。
(なぜかの理由は、ハハハ、書けませんが)
成長した、歳下の生徒から学べることも多々ありますよね。
教えることは、自分が学ぶこと。
学ぶことは、より良い教え方にもつながる、正の循環、ループですよ。
なのに、その位置に安住したり、守ろうとすること、自ら学ばないのは勿体ないと思います。
自分で自分の、まだある伸び代を放棄してるみたいです。
優れた人や才能に出会えたら、そこから学べば良いだけだから、ラッキーなことなのに。
だからこそ、先ほどの伊坂幸太郎編『小説の惑星』は拾い物だったんです。
今の「小説ってなんだろうか」と分かりかけている僕にドンピシャな見本として、学び取れるから。
まだまだ、非力な僕は伸び代がある、ってことでしょう。
なんて、幸せなことでしょう。
去年より、一段成長した自分がいます。
きっと、来年の自分は、また学んで、もう一段も二段も上にいます。
(失敗を重ねただけかもしれませんが、微々たる進歩でも、伸びていることは確信があります。
だって、日々、失敗して、学んでいるから)
また、わかった詩や小説創作の秘訣を誰かに伝え(教え)、共有したいです。
伊坂さんの見方やコメントが、どんどん僕にその答えの正解に素晴らしさ、そこへ近づいている可能性を示唆してくれている、小説のさまざまな豊さを教えてくれていますから。
小説家になりたい。
いい小説、面白い小説を書きたい。
読み手と共有できる日が来ることを願ってやみません。

