昨日は、半日、いや、ほぼ1日、放送大学の「能の世界を知る」レポート関連の作業をやってました。
このブログに載せたクロッキーの画像も、紙からスキャンして、それをフォトショップで切り取り加工してWEB用に縮小して……とかいった
ことを延々とやったり、
レポートを単なる感想じゃいけないと、能関連のKindle本を買って読んだり、してました。
他にも、能関連の本で良さそうなものを、買う前に中身チェックしようと各図書館で予約したりも。
完全に、ハマってしまいましたね。
何より、能楽が以前よりは深く理解できたのに、別の観点からは、全然わからない苛立ちがあるからなんでしょうね。
これ、現代詩が書けそうだとわかって、あらゆる手立てで、捉え直したプロセスに似ている。
何かが変わり始めている。
それは確かなようです。
詩が、書かないと、書いて悩まないとわからなかったように、文献だけでは能楽がわからないので、余計もどかしいです。
しかも、確実に言えるのは、単純にもう能楽のことを学ぼうと思っているのではないこと。
これは能楽を、小説を、物語を書くことと、確実に結びつけて理解しようとしています。
まあ、同じ、物語文学の一部ですから、当たり前ですが、合わせられます。
泉鏡花もそうだったし、三島由紀夫もそうやったのだから。
少し前に研究し出した、落語が純粋に話術からの展開だとしたら、
能楽は、古典であっても、あくまでも演劇の一種であって、シーンとして、音楽やセリフ、演者の挙措動作の身体性などの総合芸術なんですよね。
僕は、古文が読めます。
ですから、この間、観た「朝長」もパンフレットにその文章がセリフ、謡の部分が描かれてあるのですが、聞き取れていないので、
こうした文字情報だけではどうにも歯が立たなかったんですよね。
かつ、クロッキーして絵に写せたように、視覚情報も入ってくる。
文学の陰に、この16年間、隠れて、ずっと眠っていた映像制作&絵画系の魂が目覚めてしまったのでしょうね。
ああ、少し前にこのブログでも書いた、短編動画の話もここへ集約されているかもしれません。
とすると、バラバラのように見えて、関連している、まさにシンクロしているような。
うーん、お見事。
で、早速、近々に行けそうな能楽講座を見つけてきました。
これは、終わりの時間を確認したら、チケットを買いに行くつもりです。
ついでに、落語も見つけちゃいました。
なんだか、今期の放送大学は、実地鑑賞の講座だったので、変容・トランスフォームさせて来るようで、通常の学びではなかった気がします。
しかも、手に入れた本、『能楽手帖』の作者の天野文雄さんは、僕が洋画コース・文芸コースと2回卒業した旧:京都造形大学の芸術文化センター所長さんでした。
たぶん、テキスト科目か講義を受けたことがあったと思います。
そういえば、在学時に能楽へ招待されてた、記憶がありますが、
行ってないですから。爆笑
この本、筋や演目は知っていたものが、簡潔にまとめてるので、すごく読みやすかったです。
あと、他にも実は能楽関係の本をもともと持っていて、積読状態で放置だったのを探し出しました。
また紹介しますね。
あっ、今日は小説教室だ。