うーん、何かが大きく変わり、変容する予感がします | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

昨日は、半日、いや、ほぼ1日、放送大学の「能の世界を知る」レポート関連の作業をやってました。

このブログに載せたクロッキーの画像も、紙からスキャンして、それをフォトショップで切り取り加工してWEB用に縮小して……とかいった

ことを延々とやったり、

レポートを単なる感想じゃいけないと、能関連のKindle本を買って読んだり、してました。

他にも、能関連の本で良さそうなものを、買う前に中身チェックしようと各図書館で予約したりも。

 

完全に、ハマってしまいましたね。

 

何より、能楽が以前よりは深く理解できたのに、別の観点からは、全然わからない苛立ちがあるからなんでしょうね。

これ、現代詩が書けそうだとわかって、あらゆる手立てで、捉え直したプロセスに似ている。

何かが変わり始めている。

それは確かなようです。

 

詩が、書かないと、書いて悩まないとわからなかったように、文献だけでは能楽がわからないので、余計もどかしいです。

 

しかも、確実に言えるのは、単純にもう能楽のことを学ぼうと思っているのではないこと。

これは能楽を、小説を、物語を書くことと、確実に結びつけて理解しようとしています。

まあ、同じ、物語文学の一部ですから、当たり前ですが、合わせられます。

泉鏡花もそうだったし、三島由紀夫もそうやったのだから。

 

少し前に研究し出した、落語が純粋に話術からの展開だとしたら、

能楽は、古典であっても、あくまでも演劇の一種であって、シーンとして、音楽やセリフ、演者の挙措動作の身体性などの総合芸術なんですよね。

僕は、古文が読めます。

ですから、この間、観た「朝長」もパンフレットにその文章がセリフ、謡の部分が描かれてあるのですが、聞き取れていないので、

こうした文字情報だけではどうにも歯が立たなかったんですよね。

 

かつ、クロッキーして絵に写せたように、視覚情報も入ってくる。

文学の陰に、この16年間、隠れて、ずっと眠っていた映像制作&絵画系の魂が目覚めてしまったのでしょうね。

 

ああ、少し前にこのブログでも書いた、短編動画の話もここへ集約されているかもしれません。

 

とすると、バラバラのように見えて、関連している、まさにシンクロしているような。

 

うーん、お見事。

 

で、早速、近々に行けそうな能楽講座を見つけてきました。

これは、終わりの時間を確認したら、チケットを買いに行くつもりです。

ついでに、落語も見つけちゃいました。

 

なんだか、今期の放送大学は、実地鑑賞の講座だったので、変容・トランスフォームさせて来るようで、通常の学びではなかった気がします。

 

しかも、手に入れた本、『能楽手帖』の作者の天野文雄さんは、僕が洋画コース・文芸コースと2回卒業した旧:京都造形大学の芸術文化センター所長さんでした。

たぶん、テキスト科目か講義を受けたことがあったと思います。

 

そういえば、在学時に能楽へ招待されてた、記憶がありますが、

行ってないですから。爆笑

 

この本、筋や演目は知っていたものが、簡潔にまとめてるので、すごく読みやすかったです。

 

あと、他にも実は能楽関係の本をもともと持っていて、積読状態で放置だったのを探し出しました。

また紹介しますね。

 

あっ、今日は小説教室だ。