今日を入れて、今年もあと8日ですね。
長かったような、短かったような。
なんか、このまま今年の振り返りをしてしまいそうなのですが、
ここはグッと踏みとどまります。
なぜって、書くと宣言した、ショート・アワードへの短編12枚を全然、手をつけてませんからね。
ちょうど、昨日の小説教室で、1/14〆切で短編2,000字を次回、提出せよとの課題が提出されました。
で、考えたのが、5枚で書いて、それをさらに12枚に転換したらいいじゃないか、と。
一石二鳥ですから。
こうべ市民文芸で、もと原稿4枚を8枚に変換したのと同じ要領を再現する作戦ですね。
ああ、よく考えると、
12/15の伊丹市立図書館での講演会で、作家の榎本秋さんから
「ショートショート、ぜひ書いてください」と、
励まされたことへの、返礼にもなりますしね。
今日から4・5日は、それに取り組みます。
喪中ハガキで年賀状代わりになったから、今年はもうすることがないですしね。
この今月、12月はなんやかやで、不思議に思うほど、予定外に密度の濃い月でした。
⑴ 12/1は、放送大学スクーリング「日本語文学への招待」で座学の普通の講義系なのに、
僕は勝手に創作術へ変換させてもらい、アダプテーション・適応のヒントを貰いました。
⑵ で、そのアダプテーション技術を実践して8枚の短編小説を創作、こうべ市民文芸へ提出できました。
⑶ 詩の話をさまざまな知り合いとしました。40年来の大学時代の友人とも、児童文学関係の知人とも、
同じ兵庫県現代詩協会の人だけどオンライン講座つながりの知人と電話ででも、そして、日本新人クラブの会友にと、正式決定されました。
⑷ 先月の日本詩人クラブ新人賞に引き続き、憧れのH氏賞にも送付を行う。
⑸ 12/15伊丹市立図書館で、作家榎本秋さんの講演会・ワークショップを受講する。
⑹ 20年前の、自分が受講した映像ワークショップを思い出し、それと関連するような短編公募、ショートアワードへの応募・創作を決意する。
⑺ 放送大学スクーリング「能の世界を知る」で、能楽「朝長」を実地鑑賞。大いにクロッキー画を数十年ぶりに本格的に描く。
こんな感じです。
どれもが微妙に影響しあって、積み重ねられ、つなぎ合いながら、僕の創作感覚へと波及してゆきました。
このほかに、昨日の小説教室やら、詩の向坂教室やらからも刺激と影響を受けています。
その観点からだと、どれもシンクロニシティ的なんですね。
意味のある偶然たち。
それぞれは単独で起きているんですが、僕というキャラクターがそこにいるために、どんどんと繋がりを持ってゆきます。
そうか。
シンクロニシティは、中心にいる僕から見ると、周りで勝手に起こるという感覚なんですが、
これは僕自身が引き寄せ、意味を与えているんでしょうね。
(また、シンクロニシティの凄さは、それが僕以外の、周りの人にも波及してゆくこと。
オリンピックの松明リレーのように、別の人に、その炎の襷を渡すことを、古代ギリシアでは「ランパデドゥロミア」と呼んだそう。
この古代オリンピックでの聖火リレーが、僕の持つシンクロニシティのイメージにすごく近いんですよね。
すると、僕の好きな先人に「学ぶ」ことっていうのも、知識の聖火リレーになるのかな。
うん。
自分で書いていて、すごく気に入りました、このキャッチフレーズ。笑)
それらが、詩や小説という作品化され、さらに、たまたま受賞したりすると、すごく特別な出会いになり、意味や意義を与えられる、って感じでしょうか。
これこそがこの間から、ずっと僕が感じている、正体や根拠のわからない「変化の予感」なのかな。
(根底には、11月末に刊行できた、第2詩集がラスボス(?)、いや裏ボス(?)的にいる気もします)
うーん、これ自体、予想外な気づきを得てしまった、今日のブログでした。
僕が、いずれ持つであろう講座(おいおい、もう確信している)の名前は、〈文学こと始め講座〉なんですが、
そのキャッチコピーも今、決めましたよ。
「あなたにも、灯そう。受け取ろう。知識の聖火リレーを」
うーん、なんか、危ない新興宗教っぽいな、
これは、まともな受講生がみんな、引くか。笑
絶対、逆効果だな。
スピ系に偏った受講生ばかりなのも、ちょっと嫌だな。(こらこら)
まあまあ、そもそもシンクロニシティって、スピリチャル系だからね。
どうかな、教祖になれそうかな。
ああ、でも、なんて非力、非才な教祖様なんだろう。
くだらないことばかり妄想しないで、作品、書かなくちゃ。