東京の「新しい詩の声」授賞式と、トキワ荘や「ようこそ!アトランティスへ」のこと | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

昨日の夜、スカイマークの最終便飛行機で、東京から帰還しました。

今日を含めて、しばらくは、備忘録的に、何日か東京での活動ネタが続くと思います。

 

さて、メインの「新しい詩の声」授賞式は、様々な人との出会いがあり、他の受賞者、特に初対面の、最優秀賞の角さんとは、お話できてとても嬉しかったです。

 

角さんは、お若い、とても可愛らしいお嬢さん(と言っては失礼ですが、オジサンにはそう見えます)でした。

最優秀作品は、音読していただくと、なるほど、なるほど身体性が見事に表現されていて、納得しました。

小説を元々はお書きになられるということで、ぜひ小説家デビューしていただきたい、また、その資格は十分にある、物語性に富んだ今回の受賞作です。

 

また、角さんは、このブログをご覧になれていただいているとのこと。

いつも勝手なことを、無軌道に書き散らかしているの、少し恥ずかしく、恐縮してしまいました。

 

授賞式も、その後の飲み会でも、選考委員の田中眞由美さん(詩集をいただきました。ありがとうございます)や秋元炯さんと親しく、お話ができました。

この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

また、飲み会席では僕よりはお若い女性の方々と、詩の話を色々とでき、とても充実した時間でした。

お相手していただき、ありがとうございます。

 

さて、8年ぶりの東京探訪ですが、前回の’16年11月の某賞の授賞式や、’16年1月21日などの東洋大学の通信教育部・日本文学文化学科の口頭試問のことをつらつらと思い出しながらになりました。

特に、今回の「新しい詩の声」授賞式が開かれた今井館聖書講堂が、巣鴨の辺りだったので、必然的に東洋大学の頃を思い出させました。

東京メトロ地下鉄だと、白山、仙石、巣鴨と三田線沿いで、白山キャンバスのそばで、何度かスクーリングで通った場所だったんですね。

 

当然、その頃の仕事のことや生活が思い出され、まして、僕は’16年12月から詩を書き始めたので、

前回、前々回の東京’16年時点では、小説を書き始めて、8年ほどは経っていたものの、詩なんて書けるとはこれっぽっちも思ってなかったんですよ。

 

運命の不思議さを感じずにはいられません。

「回天」なんていう言葉も頭の中にチラつきました。

ほんと不思議です。

 

今回の授賞式は、同じ優秀賞の黒田ナオさん、いのうえあきさんが僕の直接に面識があったり、親しく会話したことがある方々だったことも含めて、

何か「縁」を感じる、不思議さが漂っていました。

 

お二人とは同じ関西だし、兵庫県現代詩協会関係でお会いすることがあるとは思いますが、

他の関東の方々とも、またどこかでお会いすることになる予感があります。

 

さて、縁といえば、トキワ荘のマンガミュージアムへ行ってきました。

 

実は、僕は、昔、美術系の創作に熱中していて、2003年ごろには、アートアニメーションを創っておりました。

(その頃の活動はWEBページ「ようこそ!アトランティスへ」にで以下のように、今も公開しております。)

 

よろしければ、ご覧ください。
 
ですので、マンガというより、アニメーション関係で手塚治虫さんはもちろん、鈴木伸一さんの著作や作品には詳しく接していた時期があります。
(慶應義塾大学通信教育部の卒論は「手塚治虫のマンガ表現論」で、マンガ学会で発表したことがありますからね。笑)
 
今も、マンガやアニメーションが好きなのは、いや、そもそも詩ではなく、物語としての小説にこだわるのは、
そこに起因しておりますから。
小説の読解・表現技法の変容で、詩を書き始めたので、この【ストーリー展開の呪縛】は、小説そのものを解き明かし、書けるようになる以外、呪いは解けないんですよね。
 
アメーバのように、表現領域をボーダーレスに浸透してゆくのは、止められないんです。
今回のトキワ荘の訪問で、石ノ森章太郎さんや水野英子さんの名前を拝見すると、懐かしくて、どんどん20年前に戻ってしまいました。
 
きっと、これらも含めて、いつか表現するか何かで対峙しなければいけない予感もあります。
 
こうして、幾つも重層的に過去との対話をした、東京訪問でもありました。
そうか、そういう意味では、訪問自体がシンクロニシティなんですね。