やるな! 雑誌『BRUTUS』7/15号-特集「夏は、SF」 | 読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

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小説や詩の創作、猫また大学通信を書いています。Twitterは、atlan(筆名:竹之内稔)@atlan83837218 放送大学在学中。「第8回新しい詩の声」優秀賞を受賞。
 京都芸術大学の通信洋画&文芸コース卒業/慶應義塾大学通信卒業/東洋大通信卒業/放送大大学院の修士全科生修了。

実は、僕は大のSFファンでした。

昔、よく読んでいた雑誌『SFマガジン』は隔月刊になって、もう7・8年になりますかね。

大昔には平井和正さんの作品がよく載っていた、廃刊された『SFアドベンチャー』なんて雑誌もありましたよね。

 

『SFマガジン』はたまに立ち読みをする程度で、もう図書館でも借りなくなって、何十年も経ちます。

美術系の雑誌をよく読んで、次に児童文学系や文芸誌へ興味が移ってしまったので。

それでも、たまにSF作品は文庫で読みますし、ファンタジー系はコンスタントに読んでいましたっけね。

 

 

 

さて、雑誌『BRUTUS』の、これが最新号かな。

7/15号で、特集「夏は、SF」で、SF小説やドラマ他について、声優&SF作家(失礼なことに存じ上げませんでした。お若くてお綺麗な方だ)池澤春奈さんや、

SF書評家の大森望さんたちが、冒頭ページで鼎談されています。

 

これがすごく面白い。

筒井康隆さんの、あの有名な宣言「SFの浸透と拡散」を皮切りに、今日までの時代との絡みで、SFの歴史と現在を語っている。

SFの歴史は、僕にはある程度、わかっているけれど、現代社会との関わりや時代的変遷とのコラボは、言われてみれば納得だけど、

当たり前すぎて、気づかなかった知見がいっぱい、すごく刺激的でした。

 

たぶん、僕の中のオタク性は、SFと密接に関わっていて、例えば、明石市文芸祭で市長賞を取った詩作品「白いマスクの仮面ライダーたち」にも、それは濃厚に反映されています。

もちろん、他の詩はもちろん、小説の世界観や創り方にも、その背景に濃密だと思います。

 

そもそも、インターネットの発達して、iPhoneなど情報端末で世界へ繋がる現代は、1970年代からしたら、

ある意味、現代は手塚治虫が夢想した世界へ非常に近づいてもいるし、ドラえもん的なアイテムを一部駆使したりもする、

けれども明るい理想世界じゃなくて、サイバーパンクな世界なディストピアに近い、情報支配な世界線なんですよね。

(今、実感としてはっきり認知、できました。

 この世界観で詩ができます。笑)

 

きっと『SFマガジン』を読む時は、もっと未来を見つめているので、現在や歴史との差異や整合性を意識できないんだと思います。

 

そうか。

歳とった詩人の方々は真面目だから、SFなんて読まなかったし、

若い詩を作る人は、SFをよく知らないだろうし、盲点な位置に僕は立っているんだ。

不思議です。

僕にとっての自明な、この「差異」が、盲点だなんて。

 

まあ、アニメーションやマンガにも詳しくて、Windows系Dos/vパソコンを自作する第1世代オタクで、

デッサンからのアナログな絵を描き、デジタル系のアートアニメーションから、クレイア・アニメーションまでをやった経験があり、

詩を書き、児童文学にも詳しく、純文学が好きだ。

古美術、仏像、バイクもわかります。

 

ああ、確かに、変な奴だ。

 

ふふっ。

あと、格闘技オタクだった時もあって、糸東流空手初段、大東流合気柔術初級(笑、段じゃない)、フルコンタクト系の芦原空手も少々、

かつバドミントン・コーチング技術はそれなりに。

あっ、手品を習った時期も。笑

 

うん、筋金色の変わり者だ。

40年間の「独り学ビスト歴」は伊達じゃない。

(「νガンダムは伊達じゃない」ように!? 笑)

僕にとっての常識が、実は異常な、非日常なんだね。

そもそも、詩を書くことは異常な行為。

 

そう考えると、僕は自分の全体像を全然、作品に反映していない。

自分を、それぞれのジャンルの常識で封印しているな。

小説はもちろん第2詩集にも、その一部でも反映させたら、書くこといくらでもあるんだよな。

 

【追記】

こだわって、一つを追求するのが、自分の利点だと思うのですが、逆に、こだわりから抜け出られないのが、自分の欠点でもあります。

ここ16年間、3月までは児童文学にこだわって、創作してきました。

 

でも、もう、いい意味でも諦めたのです。

3月に出した、講談社児童文学新人賞も1次選考も突破できずに終わりましたから。

現時点での、児童文学での「僕のこだわり」は失敗した、と認めざるを得ません。

きっと、このこだわりを外すことができたら、また違う展開も開ける予感がありますが、

そのためには一度、離れないといけません。

(まだ、ニッサン童話と絵本などの小品は、書き続けますが)

 

何度も宣言しているように、今年から2年間は、純文学小説へ全力振りです。

書けるからこそ、現代詩も書くのは片手間にして。

しかし、そうしてこだわると、純文学への憧れから、また、僕はこだわりの狭い領域表現になりがちだと思うので、

今日、書いたように、広い「領域展開」で己が呪術を展開しようと決意しています。笑