行き詰まっている時は、苫米地英人の戦法で。須賀敦子の素晴らしさ | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

さて、特に原因もないのに、なんとなく、行き詰まっている時こそ、苫米地英人の脳の作用を利用した戦法をやってみましょう。

 

先日も紹介した苫米地英人『脳を味方につける生き方』には、朝、計画をする癖をつける、なりきり演技をする、二つのタスクを同時に進める訓練を同時並行の2冊読みで、

などなどといろいろ書かれてあります。

 

 

 

是非も読みください。

 

で、僕は匍匐前進で、アイデアは出るけど実行できないままです。笑

でも、苫米地さんが指摘する抽象度を上げると、同じことを体験しても、全然「見える」ものが違う、をやっているつもりです。

例えば、僕の永遠の憧れである須賀敦子の文体を、そのエッセイを読み直すと、2・3年前とはまるで違う深さで、

その文体の働きが「見え」ます。

 

 

 

 

 

僕は、特に『トリエステの坂道』の中の、「雨のなかを走る男たち」が好きです。

何度読んでも、その感性、緻密な美しさに感嘆を禁じ得ません。

 

今回も読み直してみて、自分に力がついているのは、実感としてよくわかります。

その文脈を生み出す視点や感覚が、構造として「見え」ます、より深く、より鮮やかに。

ただ書けば、小説が完成されるものでないことは、よく分かってますからね。