ふと、浮かぶ。第2詩集の構想・モヤモヤ | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

風呂場で、今朝、無意識に、某時代劇のテーマ曲を歌っていたら、

いや、無声で、メロディーと歌詞が頭を流れていたら、か(?)

作りたいけど、どんな風にか、悩んでいた第2詩集の構想というか、コンセプトがモヤモヤと頭に浮かぶ。

 

単に抽象的な構想じゃなくて、第1詩集『ことわり 付喪神』以降、3年間の間に、

今まで、自分が作った詩と共通するベースがあってのものが、浮かんだんだ。

 

いわば、総まとめ的な文言で、はっきりとした詩集名の候補二つぐらいとともに、できちゃった。

 

書きたい。

作りたい。

まとめたい。

みんなへ、届けたい。

 

強くそう感じた。

(この「みんなへ、届けたい。」の感覚は、不思議。

 なぜか、そう強く感じる。

 表現したい、じゃないんだよね。)

 

詩の女神様は、いつも悪戯好きで、こういう事をちょくちょくされるんですね。

つい、直前まで、内田百閒文学賞へ出す応募小説のことばかり考えていたのに。

 

僕用の、いや、僕を担当するだろう、詩の女神と、小説の女神は、別個体なのか?

それとも同一人物なのか?

そんな答えの絶対出ないことを、つい考えてしまう。笑

 

そもそも、僕の詩が書けるようになったきっかけが、身につけていた小説創作のスキルで、詩を描いてみたら、どうなるの?

この出発点から、8年前、偶然、始まったものだからね。

きっと、同一人物で、どちらもできるけど、詩が専門なのだろう、と推測しています。(なんじゃ、そりゃ)

親に子は似るものなので、女神様はきっと小説を読むのは好きでも、小説を書く指導力がないのかしら。

(うーん、僕と同じか。笑)

 

不確かで、モヤモヤして、少々書いても顕現できない、大きなテーマに向かって、小さな章(小品)を書き溜めて、集めてゆく。

これって、小説創作の作業そのままですね。

章なのか、詩篇なのかの違いなだけで。

 

でも、小説と違って、詩集の場合は、完全に統一してなくて、むしろバラバラな方がいいものなので、気が楽です。

あとは、私家本なのか、出版社なのか、つまり、お金の問題だけなんですね。

これは、月曜に行く詩の教室で、聞いてみよう。

 

じゃあ、しばらく、半年ぐらいは、詩を創る際に、このコンセプトを、頭の片隅に置いて、作ることにします。

 

雑誌『BRUTUS』の、短詩型の短歌・川柳や、詩の1行の特集記事があって、すごく面白かった。

電子書籍で早速買って読みました。

 

 

こういう、特集が、俳誌、歌誌、詩誌というそれぞれの専門誌じゃなくて、一般誌で特集されることって、すごく大事ですよね。

きっと、これも、シンクロニシティだと思うので、

もともと、小池正博さんの川柳教室へ体験するプランがあったのですが、実行します。