風呂場で、今朝、無意識に、某時代劇のテーマ曲を歌っていたら、
いや、無声で、メロディーと歌詞が頭を流れていたら、か(?)
作りたいけど、どんな風にか、悩んでいた第2詩集の構想というか、コンセプトがモヤモヤと頭に浮かぶ。
単に抽象的な構想じゃなくて、第1詩集『ことわり 付喪神』以降、3年間の間に、
今まで、自分が作った詩と共通するベースがあってのものが、浮かんだんだ。
いわば、総まとめ的な文言で、はっきりとした詩集名の候補二つぐらいとともに、できちゃった。
書きたい。
作りたい。
まとめたい。
みんなへ、届けたい。
強くそう感じた。
(この「みんなへ、届けたい。」の感覚は、不思議。
なぜか、そう強く感じる。
表現したい、じゃないんだよね。)
詩の女神様は、いつも悪戯好きで、こういう事をちょくちょくされるんですね。
つい、直前まで、内田百閒文学賞へ出す応募小説のことばかり考えていたのに。
僕用の、いや、僕を担当するだろう、詩の女神と、小説の女神は、別個体なのか?
それとも同一人物なのか?
そんな答えの絶対出ないことを、つい考えてしまう。笑
そもそも、僕の詩が書けるようになったきっかけが、身につけていた小説創作のスキルで、詩を描いてみたら、どうなるの?
この出発点から、8年前、偶然、始まったものだからね。
きっと、同一人物で、どちらもできるけど、詩が専門なのだろう、と推測しています。(なんじゃ、そりゃ)
親に子は似るものなので、女神様はきっと小説を読むのは好きでも、小説を書く指導力がないのかしら。
(うーん、僕と同じか。笑)
不確かで、モヤモヤして、少々書いても顕現できない、大きなテーマに向かって、小さな章(小品)を書き溜めて、集めてゆく。
これって、小説創作の作業そのままですね。
章なのか、詩篇なのかの違いなだけで。
でも、小説と違って、詩集の場合は、完全に統一してなくて、むしろバラバラな方がいいものなので、気が楽です。
あとは、私家本なのか、出版社なのか、つまり、お金の問題だけなんですね。
これは、月曜に行く詩の教室で、聞いてみよう。
じゃあ、しばらく、半年ぐらいは、詩を創る際に、このコンセプトを、頭の片隅に置いて、作ることにします。
雑誌『BRUTUS』の、短詩型の短歌・川柳や、詩の1行の特集記事があって、すごく面白かった。
電子書籍で早速買って読みました。
こういう、特集が、俳誌、歌誌、詩誌というそれぞれの専門誌じゃなくて、一般誌で特集されることって、すごく大事ですよね。
きっと、これも、シンクロニシティだと思うので、
もともと、小池正博さんの川柳教室へ体験するプランがあったのですが、実行します。