岡山県と、内田百閒で、作品を書こうと画策しているけど、
なんか、この関係で風土感を入れつつ、書くスタイルを自分の中で確立したくなった。
他にも風土論的にオマージュ作品化して書きたい作家がいる。
(ここまでを朝、家を出しなに書き出して、
遅刻しそうで、書くのをやめしまっていた。
書きたかった残りを、以下に書き出す。
でないと、あまりに看板倒れ)
今、仕事が終わって、最寄り駅で待ち時間に、続きを書いています。
栃木スクーリングで、甲南大学の木股知史さんの名前があった。
テクスト論の担い手の一人として。
一度、受講してみたいな、と昔、思って叶わなかったことを思いつく。
これもシンクロニシティか。
でも、'20年に退職。名誉教授になられていて、講座を検索するも出ない。
無理か。
それとは別に、自分の読解法「ズレ・変化・発見」で捉える時、
栃木スクーリングで、鈴木啓子先生からお教え頂いた視点の、
読解コードに従って、ズレを入れてみる。
男女や時代、時制、年齢で分岐できる。
そうした読解コードをたくさん埋め込むことが豊かな文学性のある作品を産むんじゃないかな。
昨日、「日本児童文学」が送られてきた。
応募した3種類のコンクール、どれも候補作品にすらならない。
評論でさえ、内容以前の点からの酷評。
うーん、
やはり児童文学界とは感覚が合わないんだな。
これで、きっぱりと目が覚めた。
予定していた本誌の1年間の購読の継続もやめようと思う。
去年3月の時の1年間の、児童文学にがんばるぞ、のモチベーションも、ヤル気も、これで完全消滅。
一応、今年はニッサン童話と絵本GPはやるけど、もう足を洗うでいいよ。
(まだ一番難しいはずの講談社が、そこそこの結果になる可能性も残っている。
今は、もうただの願望か。笑)
とにかく、内田百閒文学賞に全力投入だな。