なぜ? 昨日のアクセス数が514でした。28位。小川洋子さん作品 | 読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

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小説や詩の創作、猫また大学通信を書いています。Twitterは、atlan(筆名:竹之内稔)@atlan83837218 放送大学在学中。「第8回新しい詩の声」優秀賞を受賞。
 京都芸術大学の通信洋画&文芸コース卒業/慶應義塾大学通信卒業/東洋大通信卒業/放送大大学院の修士全科生修了。

なぜ? 

昨日のアクセス数が514・28位でした。

一昨日のアクセス数が、153で80位でしたから、爆増です。

このブログは、大体のアクセスうが200で、少なくて150台、多くて、時々230ぐらいなんです。

500台は、多分、このブログを10年近くやってますが、10回もないんじゃないですかね。

びっくりな数字です。

 

1日に記事を二つ上げると、230ぐらいにはある場合が多いですが、昨日は単独記事ですしねえ?

なぜなんでしょうか?

 

原因として、挙げられるのは、ハッシュタグで「ゲシュタルト心理学」をつけたことぐらいですかね。

「苫米地英人」タグもつけましたが、その前はそんなことにはありませんでしたから。

苫米地英人さんは有名人で、テレビにも出たこともあるとは思うんですが、そこまで芸能人ではないでしょう?

理由がわかりません。

 

まあ、とりあえず、アクセス数300を越えると、お礼の挨拶を述べることにしております。

初めての方も、ご常連の方々も、どうぞよろしくお願いします。

ここは、僕の文学創作活動のあれこれの発見と、良い本の紹介をメインにして、さまざまな創作教室や、学びの講座について、

うだうだと書き連ねるマイナーなブログです。

以後も、ご贔屓にしてください。

 

時々、あまりにひどい日本下げの、おサヨクの方・政治・マスゴミへの正直な批判と、日本社会と日本を愛する人にとっては有益だと思う情報を発信いたすこともあります。

ですので、それがお気に障る、意識高い系の「素晴らしいお考えと思想へ保持して、お花畑の中を、日々そちらへご邁進される」お方は、ご覧いただかないのが、およろしいかと存じます。

 

さて、僕は朝4時か、5時に起きて(起こされて)、愛猫もんちゃんに朝ご飯をあげて、活動を開始する生活が基本です。

今朝も、ひたすら4時間ほど、自分の新年度仕事の、来週分の下準備資料を作っておりました。

やっと一つが終わり、残り二つです。

今日は、仕事三昧にしようかと思っております。

やった分だけ、結果が出るし、終わりがあるので、仕事は好きです。

職種としてはブラックだったり、僕は解放されましたが、本筋では雑事が多過ぎでウザ絡みなんですが。

 

ちなみに、創作関係では、ずっと取り組んでいた、小川洋子さんの『夜明けの縁をさ迷う人々』の分析読みが完了して、

今、表にまとめるために、もう1段階深く、分析を開始しています。

 

 

 

また、この角川文庫版の解説は、敬愛する芥川賞作家の村田喜代子さんでしたが、数年前に一度、読んだ時とは大違いで、

村田さんの言葉が心に染み入りました。

 

「人物が物語の「状況」を引っ張って行くのである」

 

これは、まさに僕が分析した結果、つまりゲシュタルト化されるプロセスと同じことを、違う言い方、もっと一般的でわかりやすい分、

常識として、見過ごされがちな「スコトーマ(心理学的な盲点)」になる言葉だな、と感じました。

 

数年前の僕は、正に理解しているつもりで、ここを赤線も引いてませんでしたから。

 

他にも、小川さんの、自身が小説を書く意義を、言葉にされた箇所の引用。

「鳥が一羽もぶつからずに飛び立って行く奇跡を書き記し、それに題名をつけて保存することが私の役割なのだ」

 

ここも、数年前の僕は、「ふーん、そうなんだ」と、ごく一般的に小説家の意義を、普通に説いたこととして、スルーしてしまっていました。

 

でも、今読むと、ゲシュタルトして平凡から、「非凡な一瞬を切り取ること」を述べていると気づき、

ここに、ゾッとするほど奥深さを感じ取れます。

これ、しかも、そのまま詩の創作の瞬間を解いた文言で、僕が普段、人に説いている言葉と全く同じ考え方でした。

 

正直、この村田喜代子さんの解説を読み直したとき、目が点になりましたから。

「神様の、見えざる手」を強く感じました。

 

だって、小川さんがこの間の講演会で触れたご自作はいくつもあって、その中で前に詳しく読んでいたこの本を探し回ったのは「偶然」ですからね。

他にも、何冊も持って読んではいますが、たまたま詳しく分析していたのはこれだけだったんですよ。

「そういえば、(小川さんのご指摘の)その、確か、家にあったよな、微かに記憶がある……」と思ったから、探しただけです。

 

別に、分析読みを再開するのに、別の本からでも良かったし、最初、探して見つからないから、別のにしょうと諦めかけて、

コイツはまた買えばいいかと思ったら、出てきたのです。

 

シンクロニシティ(共時性・意味のある偶然)、ですよね。

(呼びたければ、運命、と呼び変えてもいい)