さて、やっとこさ、『黒紙の魔術師と白銀の龍』分析読みを完了し、読み終わりました。
ああでもない、こうでもないと1文1文の、表現効果や、前の章との関連やら行きつ戻りつして読むので、
正直、分析読みはあまりやりたくありません。
すごくエネルギーが必要で疲れます。
で、今、僕は〈読み手意識〉の塊なので、そこへ焦点化しつつ思ったのは、
プロ作家のかたが嬉々として語る、
「自分の中に、良い読者を作ることが大切なポイントだ」
この言葉が頭の中をぐるぐるしました。
それほど、この鳥美山さんの、この『黒紙の魔術師と白銀の龍』は、読み手に配慮した〈親切な〉作品でした。
いや、もしかしたら、僕が「読み手意識」にこだわっているからこそ、見えた錯覚かもしれませんが、
ほんとプロだな、と上手い展開だったとしみじみと感じ入り、ました。
具体的に指摘すると、
伏線を事前に置いて、反応を予告したり、読者に前もってヒントとして予告的に知識や心の準備を与えて、謎解きに仕立てている。
当然、その伏線は後で丁寧に回収する。
主人公だけでなく、周りの同級生たちもチームで協力する、児童文学の王道展開。
最初、嫌なやつだった級友くんも変化して、助けてくれる熱い展開もある。
危機で、ちょっとしたヒントを元に形勢逆転する。
エンタメ的には定跡を見事に押さえています。
どれも、僕も既存の知識として知っていても、なかなかスキルとしてうまく作品に、はめ込めないんですよ。
きっと結論から辿っていけるハリウッド形式の作り方なんだろうな、と想像しています。
それは、展開への期待を謎として、読者に想像させるのが反応ポイント〈どうなるどうなる〉をしっかり押さえていることが根本にある気がします。
対して、【ストーリー展開の呪縛】に囚われた僕のやっているのは、〈どうなる〉だと思っている間違ったやり方です。
それは単に〈こうなるこうなる〉の結果説明であって、謎や広がる想像力の読者反応を無視している気がしました。
それって、読者の反応ポイントを押さえた〈どうなるどうなる〉と誘い出すものとは似て非なるものじゃないですか。
つまり、僕は【良い反応ポイント読者】を創り出す姿勢が欠如している。
それを持つべきなんですよ、今こそ。
プロ作家のいう、【良い読者】って、ノリがいい人でもなくて、感性鋭い人でもなくて、一般的な普通の読者像であって、
決して、創作者自身の分身としての「自分」じゃない。
そうなんです。
自分と同じ我儘な読者が【良い反応読者】では決してないし、抽象的な読者存在を相手に想定しているのでもない。
〈わかるか・わからないか反応〉を素直に示す、やや読書嫌いが一般人が、ここでの【良い反応読者】像じゃないのかな。
ちなみに、現代詩の読者は、わかりすぎることを嫌い、わからないことを喜ぶ変態読者だ、と思います。
しかし、その変態さんも、全てわからなすぎることを許容はしない。
その点ではわからない耐久性が高レベルでも、やはり【わかるを望む点】では一般読者と変わらないんだろうなあ、と思いました。
我儘度MAXの【耐久わかる読者】さんと、個人的には呼びたいです。笑
さて、結局、一ヶ月近くかかってしまった、この『黒紙の魔術師と白銀の龍』。
でも、おかげで、その読み手ファースト感覚がかなり自分の中に落とし込めた気がします。
それを色々と詳しくメモをしましたが、ここには書ききれません。
もしこれで、いい作品が書ければ、正しかったことの証明になるんですね。
また、これを具現化するのが大変です。
でも、ほんと、児童文学とは、しばらくオサラバするつもりなので、餞別がわりに、この講談社児童文学新人賞作品を完成するよう頑張ります。
ああ、しんどい、辛い。
本当はやりたくない忌避感と面倒くささが激烈にあります。
300枚ですからね。
頑張ります。
自分のためだけじゃない、夢実現のために。