今さらですが、2月になりましたね。
今年の2月は、僕にとって特別な月であってほしい、と願っています。
というのも、’23年に応募した児童文学関係の公募賞の残っている内定結果がすべて、多分、わかるだろうな、と勝手に推測しているからです。
例えば、勝手な憶測で以下のようになっております。
・長編児童文学新人賞・225枚 5/9発売の『日本児童文学』5・6月号発表 選考会議は例年2/2あたり →通知は2月上旬か?
・投稿作品賞・10枚×3篇 5/9発売の『日本児童文学』5・6月号発表 選考会議は例年2/15あたり →通知は2月中旬か?
・日本児童文学者協会評論新人賞・30枚 5/9発売の『日本児童文学』5・6月号発表 選考会議は例年2/22あたり →通知は2月下旬ギリギリか?
・福島正実記念SF童話賞・60枚 4/1発表 選考会議が2月中らしいです →通知は2月末までか?
でも、この間、書いたように、最終選考に残る可能性は評論新人賞しかない気がしています。
なんせ、応募数が20篇前後らしいので。笑
それが下旬なので、早く結果を知らせてほしいです。笑
この前、書いたように、4月から児童文学は、〈ニッサンの童話と絵本のGP〉10枚ぐらいにしょうかと思っています。
あと、長い落選作を少しずつ書き直す可能性はありますが、もう長編はしばらく書きません。
長いものを真面目に書こうと思うと、どうしても1・二ヶ月かかりっきりになるので。
ほぼ15年間、児童文学メインでやってきましたが、でも、もういい加減、疲れました。
今の、3月〆切の講談社児童文学新人賞を最後に、2・3年は長編は休止しようと決意しております。
当たり前ですが、大人向けと児童文学では書き方が違います。
児童文学の合間に、ちょこちょこと大人向けの小説にも応募してきましたが、もうその片手間も限界で、小説に全力投球すべき時だなあ、と決心しました。
児童文学を書くときは、刺激を得たり、参考にしようと、やっぱり児童文学を読むので、大人向けの読書ができません。
現代詩は片手間に書くので(おいおい)、いや、書かざるを得ないものなので、そちらはどうとでもなるんです。
でも、両者の親和性は児童文学と詩では、読み手ファースト度が180度違って、自分で書きにくいし、読みにくいんですよね。
児童文学で、というか、小説で、いや、現代詩でも、自分に今、根本的に欠けているのは、いい意味での〈読み手意識〉なんだ、とわかってきました。
だから、児童文学と現代詩での〈読み手意識〉感覚の落差がすごく気になって、やりにくいんですよ。
児童文学は、読み手ファーストの親切な親切文学なのですから。
あっ、そうそう、詩といえば、昨日、書きましたっけ。
選者が井坂洋子さんに変わった「ユリイカ」に2篇、ついでに「現代詩手帖」にも2篇、詩を投稿・投函しました。
昨日、午前中は、ずっと詩の添削・改稿をしていました。
マーサさんに、ヒントをいただいた、心象風景と外形(?)描写との違いを意識しつつ、先ほどの〈読み手意識〉を目一杯働かせてみました。
すると、今まで見えなかったステージに自分が立っている、立てている気がしました。
すごく不思議でした。
できれば、〈ユリイカの新人〉の称号が欲しいです。
少なくとも、その舞台に上がりたいんですよね。
ちょうど、児童文学の方でも、マンガ・ネーム作りの〈読み手ファースト〉な書き方もやっている途中なので、読み手感覚が両方、うまくリンクしているんですね。
こちらの散文・小説系でも、今までと違うステージに立っている感覚・感触を得ています。
だからこそ、単に飽きたのではなく、大人向けの小説へ挑戦してみたくなったんですね。
そちらなら、特に純文学系は自分の持っている現代詩感覚を直接リンクさせられそうな気もしていますから。
倉本すみれさんの対談は、そういう気分にさせてくれてるんです。
2月が、特別な月になってほしい、というのは、単に結果がわかるというだけでなく、そういう変化の予感もあるからです。
過去に何度も経験したシンクロニシティは、どんどん集約されて、ふっと接合点が一度に噴き出す時期があるんですね。
まるで、火山から臨界から爆発して、マグマが噴きだすように。