劇団四季の「オペラ座の怪人」を観ました | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

さて、にわかに高まってきた戯曲・劇作への関心。

実は、十数年前までは、年に二・三回は観劇していました。

戯曲も好きで読んでましたし、四季の、この「オペラ座の怪人」も観るのは2度目でした。

でも、観たのは数年前いや、十年前か? 

 

偶然、今回、観た「オペラ座の怪人」。

前に見たのは、「リトル・マーメイド」で、これも2度観ました。

「キャッツ」も観たことがありますよ。

 

けど、どれもミュージカルに圧倒されて、筋よりも俳優の演技と声に魅了されまくりでしたからね。

また、そんな訳で、小説が書けるようになっていたんですが、どれもストーリー展開の参考にはならなかったんで、

全然、小説とは結びつけてませんでした。

むしろ、詩作感覚の刺激にはなってたでしょうね。

 

さて、今回は、主役のファントムの怪人の動機や葛藤にばかり目が行きました。

もちろん、他の登場人物も。

だから、ヒロインであるクリスティーヌのラストの口付けや、恋人の子爵と舟で去ってゆくのをみると、

「えっ! で、結局、クリスティーヌはどちらが好きだったの?」と、その葛藤の帰結が、すごく気になりました。

 

うん、文字通り、ドラマ・劇作は葛藤だな、を実感できたんですが。

 

で、昨日も図書館へ行って、演劇・劇作関係の本を借りてきて、読み耽っております。

消化して、そこから自身の創作に活かすには、1ヶ月ほどかかりそうですが、また、新たな展開が大きく期待できるので、

再生できる見通しが大きく立っております。

 

「〈葛藤や障碍の設定=着地点関連〉が、僕のストーリー展開の欠陥の、全ての大元じゃないかな。」


この前のブログで気づいた認識。

とにかく、今まで、ストーリー展開の呪縛で、葛藤を、あくまでも抽象的な認識にとどめていて、ここの章にとどめていて補助的だった。

これを全体に関わる実感として、創作に感覚組み込むこと。

今、一番欠けている、対ストーリー呪縛からの、離脱の特効薬にすべきなんだと見通しがたった訳です。

問題は、こうした、いわゆるドラマツルギーが知識としては十分、分かりきっていた訳ですが、創作感覚で齟齬が生じていること。

ここを慎重に再構成していかないといけない。

 

改めて考えてみると、この前からやっている4枚小説の掌編創作って、余計なことが書けないので、文字通り、葛藤を小説化できてたんですね。

ここで、既存の感覚と繋がっている糸口がすでにあります。

ですから、それを繋げて感覚化するのに、そう時間はかからないでしょう。