さて、にわかに高まってきた戯曲・劇作への関心。
実は、十数年前までは、年に二・三回は観劇していました。
戯曲も好きで読んでましたし、四季の、この「オペラ座の怪人」も観るのは2度目でした。
でも、観たのは数年前いや、十年前か?
偶然、今回、観た「オペラ座の怪人」。
前に見たのは、「リトル・マーメイド」で、これも2度観ました。
「キャッツ」も観たことがありますよ。
けど、どれもミュージカルに圧倒されて、筋よりも俳優の演技と声に魅了されまくりでしたからね。
また、そんな訳で、小説が書けるようになっていたんですが、どれもストーリー展開の参考にはならなかったんで、
全然、小説とは結びつけてませんでした。
むしろ、詩作感覚の刺激にはなってたでしょうね。
さて、今回は、主役のファントムの怪人の動機や葛藤にばかり目が行きました。
もちろん、他の登場人物も。
だから、ヒロインであるクリスティーヌのラストの口付けや、恋人の子爵と舟で去ってゆくのをみると、
「えっ! で、結局、クリスティーヌはどちらが好きだったの?」と、その葛藤の帰結が、すごく気になりました。
うん、文字通り、ドラマ・劇作は葛藤だな、を実感できたんですが。
で、昨日も図書館へ行って、演劇・劇作関係の本を借りてきて、読み耽っております。
消化して、そこから自身の創作に活かすには、1ヶ月ほどかかりそうですが、また、新たな展開が大きく期待できるので、
再生できる見通しが大きく立っております。
「〈葛藤や障碍の設定=着地点関連〉が、僕のストーリー展開の欠陥の、全ての大元じゃないかな。」
この前のブログで気づいた認識。
とにかく、今まで、ストーリー展開の呪縛で、葛藤を、あくまでも抽象的な認識にとどめていて、ここの章にとどめていて補助的だった。
これを全体に関わる実感として、創作に感覚組み込むこと。
今、一番欠けている、対ストーリー呪縛からの、離脱の特効薬にすべきなんだと見通しがたった訳です。
問題は、こうした、いわゆるドラマツルギーが知識としては十分、分かりきっていた訳ですが、創作感覚で齟齬が生じていること。
ここを慎重に再構成していかないといけない。
改めて考えてみると、この前からやっている4枚小説の掌編創作って、余計なことが書けないので、文字通り、葛藤を小説化できてたんですね。
ここで、既存の感覚と繋がっている糸口がすでにあります。
ですから、それを繋げて感覚化するのに、そう時間はかからないでしょう。