劇団ピッコロ・シアターのワークショップを受けました | 読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

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小説や詩の創作、猫また大学通信を書いています。Twitterは、atlan(筆名:竹之内稔)@atlan83837218 放送大学在学中。「第8回新しい詩の声」優秀賞を受賞。
 京都芸術大学の通信洋画&文芸コース卒業/慶應義塾大学通信卒業/東洋大通信卒業/放送大大学院の修士全科生修了。

先日、兵庫県尼崎市の劇団ピッコロ・シアターのワークショップを受けました。

 

すごくためになりました。

 

そこに居合わせた、高校生たちのいくつかのグループが、シンデレラの同じ1ペラ(幕・シーン)を、

即興で演じてみせる、その場での見本もあって、とてもわかりやすかった。

 

それは一班、7人構成で、ナレーター訳やら、シンデレラ役、王子役に分かれて、

5分ほどで配役やら立ち位置やら、演出を相談して、行いました。

 

3グループそれぞれに、立ち位置や、シンデレラの靴を履かせるなど創意工夫があって、

見応え十分でした。

 

義理の姉の役者たちの立ち位置が微妙に左右に違うだけで、変わったり、

モノローグのシンデレラが客席へ正面向いたり、の細かな演出の違いが楽しみながら、

ふっと、これもシンクロニシティだなと気づきました。

 

以下、覚書ですので、支離滅裂ですが。

 

劇の台本には、必ず葛藤と障碍がある。

それを乗り越えることや、乗り越えられなかったことで、物語が成立する。

 

序破急の「序」の段階で、観客にどんな葛藤があるかや人物に対して、ネタの仕込みがある。

 

これらは知識としてはよく知っているつもりだけど、全然、自分の、感覚の中心にまでは体得していない。

 

シンプルに捉えて魂に刻んでいないからだ。

 

つまり、こうじゃないか、と思いついた。

 

 

〈葛藤や障碍の設定=着地点関連〉が、全ての欠陥の大元問題じゃないかな

 

今まで、戯曲は戯曲で、ストーリー展開のヒントになるとは認識していたけれど、あくまでも抽象的で補助的な認識だった。

いや、むしろ、今、一番欠けている、対ストーリー離脱感覚の特効薬じゃないか。

 

 

 

しばらく、演劇の勉強をしてみます。