先日、兵庫県尼崎市の劇団ピッコロ・シアターのワークショップを受けました。
すごくためになりました。
そこに居合わせた、高校生たちのいくつかのグループが、シンデレラの同じ1ペラ(幕・シーン)を、
即興で演じてみせる、その場での見本もあって、とてもわかりやすかった。
それは一班、7人構成で、ナレーター訳やら、シンデレラ役、王子役に分かれて、
5分ほどで配役やら立ち位置やら、演出を相談して、行いました。
3グループそれぞれに、立ち位置や、シンデレラの靴を履かせるなど創意工夫があって、
見応え十分でした。
義理の姉の役者たちの立ち位置が微妙に左右に違うだけで、変わったり、
モノローグのシンデレラが客席へ正面向いたり、の細かな演出の違いが楽しみながら、
ふっと、これもシンクロニシティだなと気づきました。
以下、覚書ですので、支離滅裂ですが。
劇の台本には、必ず葛藤と障碍がある。
それを乗り越えることや、乗り越えられなかったことで、物語が成立する。
序破急の「序」の段階で、観客にどんな葛藤があるかや人物に対して、ネタの仕込みがある。
これらは知識としてはよく知っているつもりだけど、全然、自分の、感覚の中心にまでは体得していない。
シンプルに捉えて魂に刻んでいないからだ。
つまり、こうじゃないか、と思いついた。
〈葛藤や障碍の設定=着地点関連〉が、全ての欠陥の大元問題じゃないかな。
今まで、戯曲は戯曲で、ストーリー展開のヒントになるとは認識していたけれど、あくまでも抽象的で補助的な認識だった。
いや、むしろ、今、一番欠けている、対ストーリー離脱感覚の特効薬じゃないか。
しばらく、演劇の勉強をしてみます。