お昼にチラッと見て、300は越えそうだな、と思ってはいましたが、理由が謎です。
「本レビュー」の分類でのランキングが、数年ぶり50位以内に入り、47位となりました。
ほんと、びっくりです。
(ちなみに、最高順位は、558で、24位です。
普段は、平均150ぐらいで、140位前後にいます。)
ともあれ、皆さま、ご訪問、ありがとうございます。
アクセス数300を越えたら、こうしてご挨拶とお礼を言うこと、と自分ルールを決めてはおりましたが、
400近く行くなんて、数年ぶりで滅多にありませんから。
さて、今日は本の紹介。
是非、詩を書く人には、小説も書いてもらいたいと僕個人は思っております。
ここには、『ユリイカ』に何度も入選掲載される、僕より数段上の実力の方も読まれておられるみたいですので、
そういう方には、是非、小説も書いて欲しい、との希望を込めて、紹介します。
(いい本だから、教えないなんていう、ケチな了見は、僕には無縁なので。
我以外、みな師。
年齢が年下でも、優れたところは学ばせていただくのが、真のマナビストですから。)
この『文學界』2019年12月号に、
詩人であり小説家でもある町田康さんと、詩人の伊藤比呂美さんの対談が、掲載されています。
これが、滅法面白い。
町田康さんの、詩と小説の感覚差は、ふむふむと納得部分と、
へえー、そうなんだ、そうか、そうなのか、が盛り沢山で、凄く勉強になります。
その一端を披露すると、
伊藤:「人間って、放っておくと、文章をまとめよう、まとめようとする力が働くんです。この言葉を出したら、次はこと言葉が自然だな……と言った具合に、」
町田康「詩人には時間軸や時間差みたいな感覚がないように思える時があるのですが、どうなんでしょう。物事を見る時、常に「瞬間」か「永遠」しか見ていない感じがあって、例えば、何かの事件があったとします。小説なら、事件発生から真相に至るまでの間をくどくどと書くわけですが、小説では、その過程が改行の藻屑となっているように思えます。」
伊藤「その過程の部分を書いてしまうと、市ではなくなってしまいますからね。やっぱり私たちは、非常能力があるから詩人なのであって、」
町田康「でもそうすると、読んでいる人は、その文章が何を言ってるのか分からなくなってしまいませんか。」
伊藤「そうなんですよ。私は、まず一行はちゃんと意味を通したい。その一行にちゃんと意味があれば、次行はどういうふうに繋がっていてもいいと思っていて。それじゃダメ?
私からすると、町田さんの書く歌詞って、一行一行の意味が必ずしも繋がっていないと思うんですけど。」
詩人としての伊藤比呂美さんは、講演会も、聴いたことがありますが、
あまりに自由奔放、というより我儘放題なので、
苦手です。
一切、空気なんて読まない、ですから。
その伊藤さんを相手に一歩も引かない町田康さんが、実に面白いです。
この話題はまた、明日に続きます。