完成したちゅうでん児童文学賞向け原稿の自作と、
そこでの書きやすさを、
昨日、書いた二つの小説、シモン『路面電車」や上田岳弘『私の恋人』と比べてみた。
すると、
過去の経験と時間を含んだエピソードや、
どう生きたかの世界観の吐露、さらに、現在の状況との対比が、
自然に「物語れる」と、書きやすいのではないか、と思った。
その過去の経験を重ねた語りの中で、
どれだけ対比させ発見させズレを語っていくか。
さらに、それらを数行ごとの完結したパラグラフ(段落)に収めるかが重要な気がした。
そうすると、
リアリティや説得力ある作品世界につながる気がした。
特に、『私の恋人』なんて、主人公の意識は10万年前のクロマニヨン人生と、
第二次大戦中の強制収容所のユダヤ人、
それと現代の日本人の三つの人格が入り混じっているという、トンデモ設定だからね。
ともかく尋常じゃない。
また、書き方という点では、
ストーリーという抽象的なものに向かって書くと、どこかで聞いた話になってしまう。
この間の新規の小説教室の方では、「主題」と「テーマ」は違う、と講義された。
僕は、「主題」とは作品の展開するメインの舞台であり、
それとズラした「テーマ」とは、その中での人物の演じ方と方向性のことだと解釈した。
この制定した「テーマ」でもまだ抽象的だから、演じる主人公と敵対者の関係という具体的な指針へと変換すれば、《モヤモヤとした形なき作品世界》を少しずつ具現化できる方法な気がする。
完結パラグラフ戦法と、
テーマ人物関係。
このミクロとマクロの視点を持つだけで、だいぶ今までと違う書き方が出来る気がした。