15枚近く切り貼りしましたが、
矛盾なく繋げられたかな、と思います。
あとは、プリントアウトするだけです。
今回、単にストーリーを展開させるだけでなく、主人公と敵対者、協力者と役割を担わせて、
その意思を何度も人物の行動上も、書くこちら側も明確に意識しながら書きました。
いい経験だったと思います。
少しは200-300枚の作品世界をコントロールする感覚が掴めてきたように感じています。
だからこそ、阿波しらさぎ文学賞向け原稿15枚もその感覚転用で、
今までにない作品に仕上げられたのだと思います。
作品の長さと、決められた条件、自分の書けるテーマとのバランスや兼ね合いが、
やっと見えてきた気もするのですが、錯覚でしょうか。
すると、僕の心の中で、むくむくと湧き上がる、いつもの「小説って何だろう。純文学ってどう書けばいいんだろう」という疑問があります。
この疑問は、哲学問答みたいなもので、
文学すなわち、人間、社会という根源的なものへと繋がります。
答えは、こちらの小説を書くレベルに合わせて、その時々で違ってくるものだ、と理解しています。
もうほとんど「小説道」なんですね、
僕の立っている場所は。
僕には空手道を一時期、熱心にやってた頃もあって、
ひたすら求道的に鍛錬を重ねるのって性に合ってるんですね。
事実、もう30年近く、不真面目ながらも「バドミントン道」をやってますからね。
しばらく、滝の水ならぬ、研究本のシャワーを浴びてみます。
そうすると、
自分なりの発見、整理が出来て、また一段階、上へ上がれそうな、予感がしています。
たぶん、僕はプロになれなくても、
一生、書くことをやめないと思います。