2013年の文藝賞を受賞した桜井晴也さんの奇書『世界泥棒』。
なんで奇書なのか、というと、
読めば分かります。
一読、1ページでも読むと、なんじゃこりゃと思いますから。笑
僕も5年前か、6年前に読みかけて、途中で断念しました。
なんじゃこりゃ、と思って。
でも、久しぶりに読むと、とても面白い!
今、思うと、5年前は小説が分かってないことが分かってなかったんですね。
なんか禅問答みたいなことを、言いますが、
今は小説が分かってないことが分かってます。
(きっぱり。キリリ。笑 )
そして、現代詩的な感性で読むと、この小説は散文詩的なんですね。
この本が、この間、書いた小説をスラスラ読むのではなくて、
文章に留める力の大切さを説いた作家の作品でした。
おそらく、根本さんの講義を受ける前に、この本と桜井さんの意見を聞いてなければ、
あの講義も「分かったつもり」の知見で、やがて消える運命だったんでしょうね。
どんなに良かった、と思っても、
良かったという記憶しか残らない形になって。
そして、
僕がここで根本さんの講義の良かったことを言っても、
このブログを読まれている方もほんとの意味では実感されるのは難しいでしょう。
ちょうど目根本さんの著作を読んだ僕が、
4年前の記憶が薄れて、良かったという印象しか残ってないのと同じになる可能性が、高いかな、と思います。
実際に、人と対面して、語られた「体験」にはなかなか勝てません。
人と出会うことのインプット力の凄さですよね。
もちろん、一方で、実際にご自身で書いてみて、実感されるアウトプット力の凄さめあるので、
読むことだけが無駄だと言いたいわけではありません。
書くことも「体験」だと僕は思ってます。
読むと書くの相乗効果を、僕自身、日々実感してますから。
読むことの究極の形が書くために読むことかな、と最近は、思っています。