一を聞いて、十を知ること | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

3日の講演会を聞いた興奮がまだおさまりません。
僕的には、小説の文章に「留めさせる力」を、現代詩的な異化現象の文だと解しました。

もしかしたら、根本さんの趣旨とは違う大いなる勘違いかもしれませんが、
それでいいんです。

所詮は、ひとそれぞれ、
僕流ですから。

ともかく、現代詩と小説の文章の整合性にずっと迷ってましたから、
一条の光明を見出した思いです。

16年間、自学自習の大学通信教育をやった身としては、
新しく得た知見を、いかに自分流に消化・昇華するかが、いつも腕の見せ所でした。

一を聞いて十を知らなければ、大学通信教育では、生き残れませんでしたから。
特に、慶応通信では、十どころか、百も千も見つけなければ、
レポートとテストも合格しませんからね。(笑)

その意味では、今回の講義は旱天に慈雨となりました。
神の見えざる手の一手をチラ見した思いさえします。
ちょうど、別の小説家の一文で、読みにくさが大事だと読んだところだったので、
それについて、どうすべきかを考えていたところでしたから。

根本さん、守護霊さま?
ありがとうございます。
精進します。