僕的には、小説の文章に「留めさせる力」を、現代詩的な異化現象の文だと解しました。
もしかしたら、根本さんの趣旨とは違う大いなる勘違いかもしれませんが、
それでいいんです。
所詮は、ひとそれぞれ、
僕流ですから。
ともかく、現代詩と小説の文章の整合性にずっと迷ってましたから、
一条の光明を見出した思いです。
16年間、自学自習の大学通信教育をやった身としては、
新しく得た知見を、いかに自分流に消化・昇華するかが、いつも腕の見せ所でした。
一を聞いて十を知らなければ、大学通信教育では、生き残れませんでしたから。
特に、慶応通信では、十どころか、百も千も見つけなければ、
レポートとテストも合格しませんからね。(笑)
その意味では、今回の講義は旱天に慈雨となりました。
神の見えざる手の一手をチラ見した思いさえします。
ちょうど、別の小説家の一文で、読みにくさが大事だと読んだところだったので、
それについて、どうすべきかを考えていたところでしたから。
根本さん、守護霊さま?
ありがとうございます。
精進します。