1年以上前に書き上げた落選原稿の改稿に挑んでみましたが、
250枚近くあるので、ちょっとやそっとで直せるものではなかった。
一応、冒頭と結末部分を中心に直してみましたけどね。
ただ言えるのは、去年とは違い本格的に詩人としての自覚を持った?今の自分の視点で見ると、
やたら説明が多くて、くどくて、嫌な文章だと思わざるを得ない。
結果的に、バンバン削れるところは削って、継ぎ足してはみたものの、
文体で魅せる作品ではなく、かなりストーリー性の高い作品なので、根本的には直せないまま。
ラストも大幅に変えるわけには行かず、さっきまで悪戦苦闘してました。
これ、少々変えたところで、また落選だな、と思いつつも、結局は260枚近くになって、郵便局に出してきました。
けど、今回、改稿して収穫だったのは、
たった1年半前に書き始めた作品だったのに、
書きたい文体、書ける文体が根本的に前からとは違うものになっていることです。
つまりは、
詩をたくさん書いてきた経験で、構成力や文字で書かれていない「もの」を読む力が飛躍的についていることが、自分でも確認できました。
その極意は、
文字に書かれていないものが伝わるように、
または、その《言外の意》とでも言うべきものを、読み手へ受け渡せるように書く。
それを想定して書いて、初めて勝負できる。
そんな感覚が芽生えました。
僕の繰り返し読む本に、同じ神戸出身の芥川賞作家である山下澄人さんの作品『ギッチョン』があるのですが、
それを今回も読みながら、自分の文章と比べると、そう感じました。
無論、言うのは簡単だけど、実行は難しい。
けれど、変な言い方だけど、
今までは書いた文字だけで自分のために書いていた、気がするので、
やっと、読み手のために書く糸口を、突破口として見つけた気がします。
頑張ります。