いくつも、詩史に類する本を読んだ。
今までも、大体は知っていたし、大昔、卒論は詩のゼミだったから、
文学的な知識はあったけれど、
自分のものとしては、読んでなかったから、今ひとつ、近代詩と現代詩との違いが、自分なりに位置づけが出来ていなかった。
小川和佑『詩の読み方 近現代詩史』によると、
「昭和三年に、春山行夫によってはじめられた詩誌「詩と詩論」を中心とした「新散文詩運動」が要因になって、詩は音楽的なものから絵画性抽象性を多分に帯びるものに変革していったのです。
このことは、従来唱われる要素をもっていた詩が、記述される詩と意向していったといえるのです。この昭和初期の詩人たちは、唱われる詩に適した語法を否定して、語と語法の組み合わせによって、その語が今まで持っていなかった新しいイメージを生み出すことになりました。そこでは詩を視覚的に把握することが重要になりました。これは小説など散文の語法とは根本的に違ったもので成立しています。このことをわかっていないと、現代詩は理解することができません。」p237
あと、大御所の故・鮎川信夫の詩に関する評論を久し振りに何冊か熟読した。
前は、詩の研究レポート作成のためだったけど、
今回は、詩の実作のためにだから、色々と違う感慨を持った。
鮎川さんは、詩に型はない、自由だと言いながら、
もう片方で色々な詩人の書き方を知ると、
「大人しく」なりすぎる人を今まで多く見てきた、と言う。
それではダメだ、と。
矛盾してるよ、鮎川さん!
でも、
そうそう。
そうなんだよね。
絵は自由だから、自由に描け! といつも絵描きのプロは言うけど、
上手と下手の区別は歴然としてあるし、
ヘタウマと、下手もかなり差があるのが事実なんだよね。
バドミントンでも同じ。
単純に反射神経や若さ故の筋力差は、どうしようもないけど、
それ以外、上手い人の打ち方は、必ず、身体の使い方、前腕の回内回外運動や、上腕の外旋、重心移動などなどを使ってる。
単なる筋肉反射じゃないんだよね。
センスのある人や観察眼のある人は、見たら、すぐ真似れる。
僕の詩は下手だから、才能ないから、
若い感性ももちろんもう無い。
真似から入って、オリジナルを目指します!