今年度の現代詩の公募新人賞である「ユリイカの新人」が、
雑誌『ユリイカ』1月号で発表された。
もちろん、このブログをご覧になられているほとんどの方には、
雑誌『ユリイカ』はご存知でも、
実は現代詩の投稿詩であることや、その年間の新人賞が設けられていること自体、初耳なことは、想定の範囲内である。
(笑笑。ネット・スラングで草wwwと書くべきか。)
僕もウン十年前も前から、時々、雑誌「ユリイカ」は気に入ったサブカル系の特集があるときに買っているし、
それら古いものでまだ捨てずに持ってるものも何冊かある。
けど、
「ユリイカ」の出発が現代詩の批評雑誌であったことを、意識することは、
2年前に詩を書き始めるまで、皆無だった。
さて、
今年度の、「新人」は、小林瑞枝さん。
彼女の詩の分析は、また後日にして、
選者である、水無田気流さんの講評で気になったことがいくつかある。
それを紹介したい。
「ユリイカ」に掲載された回数が少なかったけれど、その作品の「言葉の断面」が清新であった、
という趣旨の発言をなされていたことだ。
ここから見えるのは、
「ユリイカ」に入選する回数の多いことが、選択条件の一つであること、
( 不確定だが、冒頭に挙げられる詩がその月のベスト1だという情報もある。)
しかし、それを凌駕するのは、 作品の持つ「清新さ」というオリジナリティであり、
その各詩行の、一つ一つの言葉の強さ(精選された揺るぎなさ、無駄の無さはあるのは当たり前ということ)が必要不可欠だということである。
ちょうど偶然にも、水無田気流さんが中原中也賞(小説で言えば、芥川賞に相当する権威ある賞)を受賞した詩集『音速平和』(思潮社)を、
ネットで数日前に落札していた。
それを、読むと、水無田さんのいう言葉の強さ、清新がよくわかる。
ちょっと、冒頭のみをいくつか引用します。
A
《ライフ・ストーリー》
私が生まれたのはデボン紀の海岸
見上げれば赤紫色の空
私が持っていたのは四枚の鰭
未踏の水辺を不恰好に移動する生
私が生まれたのは一〇四七階の産院
見下ろせば八五五階の工事現場
(以下 略)
B
《午前四時の自動販売機》
午前四時の自動販売機は
路上の水族館
電信柱の一個電球は
溜め息一歩手前
アスファルト上の影は
青くて長い螺旋階段
(以下 略)
C
《三月道》
呼吸を殺して雨が降る
路上のぬかるみの先
ニセモノの地平の上には
燦然と
シュミット=ロットルフの青が輝いている
(以下 略)
どうでしょうか。
AとBの、暗喩的な仮想された情景はお見事です。
多分、詩を読み慣れてない方は、
なんじゃこりゃ?と頭の中にクエッションマークだらけになったと思うのですが。
詩とは本来、結びつかない異質なモノ同士を結びつけるアナロジー(類比)が基本です。
Aの「私」は、第1連隊の両棲類?と、第2連の人間を結びつけており、
Bの自動販売機と水族館、影と螺旋階段の異質なものを結びつけています。
Cは雨と燦然と輝く青と、両立しないものが一つに融合して結びつけられています。
どの詩も、言葉に少しの油断もありませんし、
あり得ない新しさを、
各連の行が持っていますよ。
違う言い方をすれば、
これが現代詩の特徴である「異化」現象が発生させて、
それを元に詩篇を構成している実例です。
ああ、こうして解説していると、
自分の進むべき方向が見えて来ますね。
言葉の、凝集度。
ちょうど、星がいくつも重なって星団が生まれるように、
言葉を異化して、イメージの星団、
プレアデス星団、昴のような輝きを持たせること。
それを来年の課題にしたいと思います。