・説明ではなく、人物の振る舞い・身振り・手振りの描写を、もっともっと徹底する。
( しつこく執念深く続けるべきか。文体で魅せるとは、そういうことでは? まだまだ説明に頼っている現状。その一方で説明不足で読み手を放り投げている。)
・三人称一元視点で書く。視点人物のいないシーンは書けないが、その周辺を彷徨うことは自由に出来る。同時に、視点人物の心の中や外部の見ているものも描ける。
・先行文脈の抱えた不足を埋めていくのが文章であり、小説だ。つまり、散文は(ダンスである詩と違い)「目に見えない目的地、ベクトル・方向性」を持っている。
・小説には、時間と空間があるから、その変化( 例: レストランに来たら、いきなりサラダは食べられない。注文しないといけない。また、いきなりなら、「いつ来たの?」という人物のリアクションも必要になる。)
・描写とは、淡々と事実を写生したもの。台詞や説明文も含めた文章全体が描写にもなる。
・語り手に背後霊的に寄り添えば、「同時的に」語れるが、主人公を通さずに、「このときは、…知らなかった」とは書けない。回想なら、それがOKになる。
・描写して、出来事は描いても、答えや判断は書かないで隠すこと。
・描写は人間の目を使って、絵が浮かぶように書くが、映像だけでは伝わらない「感じ」は他の感覚描写を使い、そのものズバリの名詞や形容詞を使わない。
,面白さとは、日常の表面ではなく、穿ったり、捻ったり、深めたりして人間を描くこと。
次に、ミスリード的に評価を反転させる。
重松清『流星ワゴン』「あたまがくらっとした。声が出そうになるのを胸でこらえたら、腰や膝から、体の重みが抜けた」息子に恨まれていることを知った父親の発見から来るリアクション。
・書くときは、無心になり書く、勘を働かせる。勘の養成が必要。
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バドミントンを、ジュニアの子に教えていて、思うことは、理屈だけで上手くならないけど、
理屈と勘による感覚伝達が上手く行くと、飛躍的に進化をすることがある。
その「感覚」を一度、体感してしまうと、後は無理なく出来る。
感覚勝負の文筆など、よろず、同じだと思うんだよね。