小倉百人一首より77番

『恋の歌』

 

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の

われても末に 逢はむとぞ思ふ

 

せをはやみ

いは(わ)にせかるる

たきがは(わ)の

 

われてもすゑ(え)に

あはむ(わん)とぞおもふ(う)

 

 

1、歌意

川の瀬の流れが速いので

岩にせき止められる急流が

二つに分かれても

結局はまた一つに合流するように

今は別れ別れになっても

将来はいっしょになろうと思う。

 

 

2、文法の解説と単語の意味

・瀬「を」はや「み」:「~が・・・の」。

 

・「はや」み:早い。

 

・はや「み」:接頭語。

 

・せかるる:「堰(せ)く」「塞く」の受け身。

 

・滝川:急流。激流。

 

・われ:割れる。破れる。ここでは「水が分かれる」と「男女が別れる」。

 

・ても:接続助詞+強意の係助詞。逆接の仮定条件。

 

・末に:最後に。

 

逢わ「む」:意思の助動詞。

 

・「ぞ」「思ふ」:係り結び。強意の助動詞「ぞ」。

 

 

3、鑑賞のポイント

 

序詞

「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の」が「われても」を導く

 

急流が岩にぶつかる激しさが

恋の激情を思わせる。

激しい情熱と力強い意志を感じさせる。

 

まず上の句を想像してみる。

激しく水しぶきをあげて岩に襲い掛かる激流

それが激しく岩にぶつかり流れは二手へ。

これは激しい恋の様子を上手く表現し、

その二手に分かれた流れはまた下流で出逢う。

それを再会を誓う決意の下の句と捉えられる。

 

2人が引き離されても、いつかは一緒になろうという強い思いは、

「強意の係り結び」によって表現されている。

 

この歌が当時最初に紹介された時は

「ゆきなやみ 岩にせかるる 谷川

 われて末にも あわむとぞ思ふ」

崇徳院は2度推敲し今の形になったと言われている。

 

 

4、決まり字

せ・・・1字決まり

 

 

5、歌人

崇徳院(すとくいん)

保元の乱で讃岐に流された。

 

 

6、出典

詞花集

 

 

7、私の一言

感動の再開になるであろうその時は

また激しく再会するのか

それとも穏やかに誰にも邪魔されず再会できるのか・・・。

気になる所です。

 

 

この歌は、アニメ名探偵コナンの映画

 から紅の恋歌 』

(からくれないのラブレター)

 2017年 の映画

で、工藤新一が毛利蘭に贈った歌(返歌)です。

コナン君として蘭の側にいますが、

新一としてこの歌を贈っていますので、

蘭と再会したい強い想いと結ばれたい強い想いを感じさせます。

そのせいでしょうね、私の娘はこの歌が大好きです。

キュン💗キュン💗しております(笑)

では蘭は新一に何の歌を贈ったのか・・・

ヒントは幼馴染み。

こちらですよ、紫式部の歌👇

今日の和歌#4 小倉百人一首より57番 | 紡ぎ人 琳 の部屋 (ameblo.jp)

 

 

雑談です💦

娘・・・国語の定期試験で、答えが「係り結び」の問題があったようです。

クラスで2人だけ正解とな。あっ、娘も正解です✨

「係り結び」は古文の意味を理解するうえで重要なんですよね。

いつかブログで解説する日がくるのかなぁ…!?

 


 

8、メッセージ

恋しい人と別れ離れになるって

逢いたくなりますよね。

久し振りに連絡を取るタイミングかもしれませんね。

 

再会は懐かしさもありますが

相手や自分が

変わった・変わらない部分

を知ることになったりします。

そうすると「覚悟のうえで連絡を取る」ことになるのかも。

 

 

 

 

 

※ここからは中級編です。

長くなりますので、

知りたい方だけお読みになって頂けたらいいなと思っています。

 

5、歌人「崇徳院」の項では紹介しませんでした。

崇徳院の人生をなるべく簡単にご紹介します。

 

崇徳院は

鳥羽天皇と待賢門院珠子の第一子として生まれますが、

待賢門院珠子が白河院(鳥羽天皇の祖父)と関係があったことから、

崇徳院は白河院の子であると疑惑があり

鳥羽天皇には愛されずに育ちました。

 

そして白河院のバックアップで5歳で即位

鳥羽院(鳥羽天皇)によって23歳で譲位させられます。

 

この後、鳥羽院は3歳の近衛天皇を即位させますが

17歳という若さで崩御。

 

崇徳院は

次は自分の息子が即位すると思っていましたが

当時近衛天皇が早くに崩御したのは

崇徳院の呪いとされました。

 

このことにより鳥羽院は後白河天皇(崇徳院の弟)を即位させます。

納得いかない崇徳院は鳥羽院が亡くなった後

後白河天皇と対立。

 

保元の乱を起こします。

 

崇徳院が敗北し讃岐に流されます。

讃岐に流された後、崇徳院の数々の怨霊逸話が生まれました。

怨霊逸話を書いてもいいんですが、

苦手な方のためにここでは省略します。

 

そうした意味でこの歌を鑑賞すると

これがただの恋歌ではなく

崇徳院が都に戻りたかったという執念・怨念を感じ取ることになると思います。

またこの解釈を藤原定家は織り込み済みだったと推量されています。

百人一首では保元の乱で戦った相手(藤原忠通)が詠んだ歌を76番として隣に並べているのは感慨深く、

また、この歴史を知ったうえで保元の乱の勝者である藤原忠通の歌を鑑賞すると

また違った味わいが出てきますよ👇

今日の和歌13日目 小倉百人一首より76番 | 紡ぎ人 琳 の部屋 (ameblo.jp)

 

今回は長かったですね。

最後まで読んで下さりありがとうございました。

 

 

 

百人一首の意味と文法解説(77)瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ┃崇徳院 | 百人一首で始める古文書講座【歌舞伎好きが変体仮名を解読する】 (honda-n2.com)

 

参考にしている本

・原色シグマ新国語便覧 増補三訂版  文栄堂

・カラーワイド 新国語要覧  大修館書店 (私が高校生の時のもの)

・百人一首(全) 角川ソフィア文庫

・ビジュアルでわかる 美しい和歌の世界 百人一首 成美堂出版

・百人一首を楽しくよむ 風間書院

・百人一首のひみつ100 主婦と生活社