はじめに

私が大学生の時、インドに約二週間バックパッカー旅をした。

私が今でも時間を見つけてはどこかにふらっと旅してしまう原点となったと言って過言ではない。

なぜなら、インド(主にニューデリー、アグラ、ジャイプール、ガンジス川上流域)に足を運んだ際、なんとも言えない「場所の力」を感じた。言語化することが難しい、「場所」そのものから感じるパワーのようなものだ。

それを追い求めているのではないかと思う。

 

今回はインドに訪れた経験をもとに、「場所の力」とはなんなのかを考えてみた。

 

インドという国

インドの面積は世界で第7位、人口は2023年には中国を抜き世界一になると言われている非常に大きな国と言える。

また公用語は、ヒンディー語、英語など1 8以上もあり、公用語でないものもあわせると260以上の言語が確認されている。

 

ヒンドウー教が大きな力を持っていることには変わりないが、イスラム教に関しても世界第3位のイスラム教国である。また仏教発祥の地でもあるため、仏教徒にとっても重んじられる国である。

 

近年では、グローバル化からキリスト教徒が増えている事実もある。

 

また細分化すると2000 以上もの宗教があるそうだ。

このように、言語と宗教だけをとってみても非常に多様な国であると言える。

 

さらに独特の気候も加味して、「インドは国というより大陸である」と表現されることがしばしばある。

 

場所の力

『場所のカ』(ドロレス・ハイデン著・2002)によると、「場所のカ」とは

 

「ごく普通のランドスケープに秘められたカであり、共有された土地の中に共有された時間を封じ込め、市民の社会的な記憶を育む力である。」

 

と述べられている。

つまり労働者の歴史・民族や女性の歴史(パナキュラー)など、メジャーな歴史とは異なるもので、そこに住む人々の何気ない日常の景観や、記憶によって伝えられるアイデンティティとも言える。

 

そもそも、「場所のカ」の議論の始まりは、ニューヨークにおいて白人の割合がマイノリティーに転じた90年代に始まったそうだ。

 

先住アメリカ人・アフリカ系アメリカ人など、それまで虐げられてきた歴史(パナキュラー)を持った人々は立ち上がり、自分たちの場所(ランドマーク)がどこにあるのか抗議の声を上げた。

 

国籍、民族、ジェンダー、人種、社会階層などの、そこでは白人と対立する先住アメリカ人やアフリカ系アメリカ人のように、時として反目し合うそれぞれのアイデンティティだけでなく、それを超える大きな共通のテーマとして、場所への帰属意識を高める必要があったということだ。

 

また、共通のテーマを創るためには、メジャーな歴史と同じように、今まで虐げられ、重要視されなかったパナキュラーな歴史を知らなければならない。

 

しかし、パナキュラーな歴史には、それを特徴づけるようなランドスケープは存在しないため、何気ない日常のランドスケープから得られる「場所の力」が必要である。

 

私が現地で感じたインドでのバナキュラーとは、カースト制度においての下層階級、国民の8割以上を占めるヒンドゥー教以外の人々、女性などである。(全員が全員そういうわけではない。)

 

カースト制度における不可触民は町の西側に集まっていたりそれぞれのコミュニティが集合している傾向が見られた。

 

その人々が生活している場所から、確かに生きること、またその中にも幸せを求めている姿、そこに生きる人たちのパワーを感じることができたのである。

 

来週に続きます。

 

英語コミュニケーション講座 担当講師 Stacy