先週に続いてインドで感じたことを綴ります。

 

観光地におけるバナキュラー

そこで「場所のカ」をパナキュラーな土地だけでなく、観光地にまで拡げ、考えてみた。

 

パナキュラーな土地には、 その土地特有の記憶や歴史があり、 間違いなく「場所のカ」が存在している。 

 

では、 パナキュラーとはかけ離れた土地には 「場所のカ」 は存在しないのだろうか。

 

パナキュラーとはかけ離れた土地、 それは、 今までスポットライトを浴びてきたメジャーな歴史を記憶している土地のことで、ここでは敢えて《観光地》と呼ぶ。

 

観光地とバナキュラーを対極なものとしたとき、観光地には「場所のカ」はないのだろうか。

 

インドには様々な観光地がある。有名なタージ・マハルをはじめ、インド門やラール・キラーなどが挙げられる。

 

私はこういった観光地を巡った結果、観光地にも確かに、「場所のカ」を感じることができた。

 

先述したバナキュラー以上に「場所の力」を感じることできた。

これは一体どういうことだろうか。

 

バナキキュラーではない土地にも 「場所のカ」を感じることはできるのである。

 

もちろんその建築自体の壮大さや優雅さ、それを取り巻く人々や自然の融合から、力を感じることは大いにあるだろう。

 

しかし、それはほんの一部に過ぎないと私は考えている。

 

パナキキュラーではない土地に、「場所の力」を感じる大きな理由は、観光という特別な要素が多分に含まれるからであろうと考えられる。

 

観光の場合は初めて訪れる土地であることが少なくない。

空間と時間は独立することはない。 

初めて訪れた土地に対しては、訪れた瞬間に時間軸が動き出す。

 

観光する時にある程度の計画を立てる。

まさにこの行為こそが、 「場所のカ」を感じる大きな要囚であると言える。 

 

計画を立てると、 空間を写真などでイメージさせ、 時間を過去に動かしてしまう。 

 

すると、 あたかも過去のその場所の時間を共有したかのような状態で、 その場所に訪れるのである。 

 

そうすることで、 何も知らずに訪れた人よりも、 その場所の記憶している歴史をより読み取ることができると言えるのではないか。

 

 

これこそが、 パナキュラーではない土地でも「場所のカ」を感じる大きな理由ではないかと考える。

 

最後に

私は「場所のカ」すべての場所に存在しているものだと考えるようになった。

世界遺産と呼ばれるような場所から、ローカルが住む小道まで刻み込まれた歴史がある以上「場所のカ」がある。

そのパワーは初めて訪れる場所に感じることが多いと体全体で感じているからこそ、私は旅を続けていくんだろうと思う。

 

 

英語コミュニケーション講座 担当講師 Stacy