新しい年度に変わり、数ヶ月経ち、夏休みの予定を考えだしている人もいるのではないでしょうか。大学生になってなおさら英語でコミュニケーションが取れるようになりたいという思いが強くなってきている人もいるかも。でも、なかなか一歩が踏み出せない人もいるかもしれませんね。そこで、今日は私が知っているある学生の話をしたいと思います。


 彼女は英語でコミュニケーションを取れるようになりたいと思いつつ、実はずっと英語が苦手でした。文法は不得意、語彙も少なく、大学で受験するTOEICでも芳しい点数が出ず、その状態をどうにかしたいと考えていました。大学の後期の授業が終わった春休み、彼女は3週間の語学留学を決心し、フィリピンのセブ島に一人で向かいました。そこで、3週間マンツーマンの授業を受け、どっぷり英語漬けの生活をしました。

 3週間後日本に戻ってきた彼女に会ったとき、英語がすらすらと出てくる彼女にびっくりして、何か特別なことをしたのかと尋ねたら、「実は・・・」とセブ島で勉強していたことを話してくれました。英語を口にする彼女の表情からは以前の自信のなさが消え、わからないことは学ぼうとする積極的な態度とエネルギーに溢れていました。


 しかし、3週間で英語の理解力や文章を作り出して発話する力がグッと伸びた彼女でしたが、日本に戻ってきて英語に触れる機会や時間が少なくなると、一挙に言葉が出てこなくなりました。海外滞在の経験のある人なら、語学力がキュッと伸びる瞬間を体感したことがあると思います。そして帰国して、その力があっという間に落ちていくのも経験しているはずです。聞いた英語は理解できるのに、思うように言葉が出てこなくて話せないというジレンマに私も苦しみました。私たちは学び、使えば、使えるようになるのだけど、使わない時間が長くなればなるほど、自由に使いこなせなくなります。つまり、ある程度上がった英語力を維持する努力が(相当に)必要になるということです。


 しかし、なによりも私が嬉しく感じたのは、一人でセブ島に行き、英語でコミュニケーションがとれることを体験し、それが彼女の自信となり、さらなる夢や目標へと前向きに向き合うようになったことでした。人間は想像力という素晴らしい能力があり、それによって精神的に物質的に豊かになったところはあるけれど、やはり、実際にやってみる、話してみる、その場に立ってみることは、なによりも強くその人の成長を促し、またより深い理解へと導いてくれます。


 夏にはシドニーツアーがあり、参加を予定している人もいるでしょう。シドニーの経験は必ず皆さんの中に残ります。シドニーだけでなく、今までやりたかったことに躊躇していたのであれば、一歩を踏み出してみませんか?その一歩から繋がるものは、想像している以上に大きいはずです。



英語コミュニケーション

講師 Emma


      今から6年前、2018年4月長年勤めていた大手英会話スクールを辞め、同年6月オーストラリアへ。その経験を振り返って、英語を学ぶ皆さんにぜひお伝えしたいことを書いてみたいと思います。異国の地での初の生活だったので大変な事もありましたが、とても役に立ったマインド3つ「視野を広く諦めないこと」「とにかく楽しむ」「仕事を3つする事」で乗り切ることができました。この3つができていなければ、早々に泣きながら日本に帰国していたと思います。そんな楽しくもチャレンジングな海外生活は、子供の頃から英会話を学んでいた私にとって、長年の夢でした。しかし13歳でカナダに行った際、高熱と肌荒れがひどく帰国後2か月間は外出できず、海外は体に合わないと諦めていました。それでも英語を教えるものとして海外に住んだ事がないなんて、映画やドラマでみる欧米諸国の文化やコミュニケーションの取り方を体感しないなんてと、遅ればせながら29歳の初夏、飛行機に乗っていました。初めの1か月は知り合いの家にお世話になり、オーストラリアの文化に触れたり、動物園に行ったり、市電の乗り方を覚えたり、慣れることに専念しました



 また仕事のためRSA(アルコールを取り扱うお店で働く際にいる資格、1~2日で取得可、オーストラリアで働きたい方は必ず取っておきたい。)をオンラインで取得、英語の履歴書を作り300枚印刷、カフェやレストラン、スーパー等を中心に配り、オンラインでの仕事応募も20社ほど提出。しかし待てど暮らせど返事は来ない。それもそのはず、この時期のオーストラリアは学生も長期休み中で、現地の方と仕事の取り合い状態(個人の体験では仕事がゲットしやすいのは秋から2月頃)気持ちを切り替え「日本人が武器になる」仕事探しへシフト、すし屋で寿司をまく仕事をかろうじて得ました。なぜか韓国人上司から「もっとコメをカチカチに固めろ!」という謎の指導を受け、心の中で「寿司ってカチカチにするもの?」「私はオーストラリアで韓国人が経営の日本食レストランで、日本人のほうが詳しいはずの寿司について、固めろと叫ばれている…この状況、面白いぞ!」なにはともあれ、波乱のスタートでした。その後マーケットでおもちゃ物販、イタリアンレストラン、ファーム(2年目ビザのため)、バリスタ、観覧車にてカメラマンなど5種類の仕事を約30社で経験し、最終的には仕事がない時や不当に扱われた時期を経て、仕事は常に2~3種するようになっていました。なぜならば世界情勢が変わりその仕事がなくなったり、不景気になったり、現地の方に比べワーキングホリデービザは弱いため、繁盛時の数合わせで呼ばれていたり理由は様々。最後の仕事は3つ掛け持ち、週に1日は野菜マーケット(ここで自分のも安くゲット)3~4日はバリスタとしてコーヒーを入れる・・・朝からコーヒーの香りを楽しみながら、現地のビジネスマンともコミュニケーションをとれる仕事なんて、日本にいたままだったら、決して経験できなかった、とても贅沢で幸せな時間でした。 


(ファームで友達になったリアがブリスベンに会いに来てくれた) 

そしてもう1日はブリスベン観覧車でお客様が安全に乗り降りのサポートスタッフ&カメラマンをして、現地の方と肩を並べてのお仕事に感動しました。(ここは現地の方しか雇わないそうで、運がよかった!)そしてこの6年前まいた種(経験)のおかげで、英語がお仕事の幸せな今に巡り合えたような気がします。

だから読んでくださった皆さん夢があったら
Please do your best, and never give up
!行動すれば夢は絶対に叶います!
Best wishes, Jane.

英語コミュニケーション講座
講師 Jane 




🔹色んな国を旅してきた 英語コミュニケーション講座の元受講生 Joshの旅日記です🌍(気まぐれに更新中📝)



インドの良さは“生きる“特別感“、ありがたみを感じられると共に、生に貪欲というか人間の本能に立ち会えるような気がする。


例えば街中を歩くと必ず声をかけてくる人がいる。鬱陶しいほどに。後から得た知見からするとこういう話しかけてくる人たちは絶対に信じれない人たち。

要するに外国人を見るとお金を騙し取ってやろうという人たちが山ほどいる。

そういった人たちも彼らの生活のために自分の生活を支えていくのに必死なのであろう。要するに他人が不幸の目をみたとしても自分は生き抜くという、人間の本能に忠実な人たちである。

彼らが自分の生活のためにあれやこれやと迫ってくるそういう環境下では、育ってきた環境は違えど同じ人間である私もそれなりの覚悟を持って街を歩く必要がある。彼らも自分の生活、生きることに必死なのであれば、こちらも生きるために自分の身を守るそういった覚悟である。


幸いなことに私たちが住む国日本は、秩序が保たれておりそう言った人、状況に遭遇することは稀である。もちろんこれは素晴らしいことでありその環境がある日本を誇らしく思う。しかし人間も動物である以上、“生きる”という本能に抗えない時も出てきてしまうことはあるために,本能のままの人間に接しておくことは意味のあることだと思う。

本能は道徳や倫理、法律等では制御できないものであり,どんなに育ちが良い、恵まれた環境で育った人であってもそれらの制限をすり抜けて出てきてしまうことはある。


例えば地震の際の避難所で非常食の配給の時にどうしても列を割り込んだりでくる人が出てくるということ、人を思いやる文化の中で生きる日本人でも自分の利益のために人の不幸を顧みないそういう感情は本能から生まれるものであり避けられないものである。つまり今は大丈夫、でもふと小さなきっかけでその本能的感情というのは呼び出されてしまうものであり、だからこそそれに接しておく、慣れておくというのはとても大事なことである。

生き物としての原点にたどり着くものであり、そこを理解すること,踏まえた考え方ができるようになると,今以上に他人を理解できるように,思いやることが出来るようになるのではないだろうか.そしてもう一つのメリットとして、仮に常識では考えられないような言動をする人を見かけたりその人の被害にあった場合。

私は彼の周りには今“本能的に危機や焦りを感じる状況が起きている、常識や倫理で制限が効かない本能が出現するほどの理由があるのかも”そういうふうな観点として状況を捉えれるようになった。


このことは他人の理解に歩み寄れるだけでなく、彼もそれなりの理由があったのだと思うと自分の中の怒りも少し静まる。本能に立ち会うことの大切さを学んだ。


「ガンジス川にて毎晩行われるお祈り。人で溢れかえっていた。」


 「ガンジス川沿いの建物」 


「驚かされた乗り物の使い方」


英語コミュニケーション講座

元受講生 Josh(広島大学)