今から6年前、2018年4月長年勤めていた大手英会話スクールを辞め、同年6月オーストラリアへ。その経験を振り返って、英語を学ぶ皆さんにぜひお伝えしたいことを書いてみたいと思います。異国の地での初の生活だったので大変な事もありましたが、とても役に立ったマインド3つ「視野を広く諦めないこと」「とにかく楽しむ」「仕事を3つする事」で乗り切ることができました。この3つができていなければ、早々に泣きながら日本に帰国していたと思います。そんな楽しくもチャレンジングな海外生活は、子供の頃から英会話を学んでいた私にとって、長年の夢でした。しかし13歳でカナダに行った際、高熱と肌荒れがひどく帰国後2か月間は外出できず、海外は体に合わないと諦めていました。それでも英語を教えるものとして海外に住んだ事がないなんて、映画やドラマでみる欧米諸国の文化やコミュニケーションの取り方を体感しないなんてと、遅ればせながら29歳の初夏、飛行機に乗っていました。初めの1か月は知り合いの家にお世話になり、オーストラリアの文化に触れたり、動物園に行ったり、市電の乗り方を覚えたり、慣れることに専念しました



 また仕事のためRSA(アルコールを取り扱うお店で働く際にいる資格、1~2日で取得可、オーストラリアで働きたい方は必ず取っておきたい。)をオンラインで取得、英語の履歴書を作り300枚印刷、カフェやレストラン、スーパー等を中心に配り、オンラインでの仕事応募も20社ほど提出。しかし待てど暮らせど返事は来ない。それもそのはず、この時期のオーストラリアは学生も長期休み中で、現地の方と仕事の取り合い状態(個人の体験では仕事がゲットしやすいのは秋から2月頃)気持ちを切り替え「日本人が武器になる」仕事探しへシフト、すし屋で寿司をまく仕事をかろうじて得ました。なぜか韓国人上司から「もっとコメをカチカチに固めろ!」という謎の指導を受け、心の中で「寿司ってカチカチにするもの?」「私はオーストラリアで韓国人が経営の日本食レストランで、日本人のほうが詳しいはずの寿司について、固めろと叫ばれている…この状況、面白いぞ!」なにはともあれ、波乱のスタートでした。その後マーケットでおもちゃ物販、イタリアンレストラン、ファーム(2年目ビザのため)、バリスタ、観覧車にてカメラマンなど5種類の仕事を約30社で経験し、最終的には仕事がない時や不当に扱われた時期を経て、仕事は常に2~3種するようになっていました。なぜならば世界情勢が変わりその仕事がなくなったり、不景気になったり、現地の方に比べワーキングホリデービザは弱いため、繁盛時の数合わせで呼ばれていたり理由は様々。最後の仕事は3つ掛け持ち、週に1日は野菜マーケット(ここで自分のも安くゲット)3~4日はバリスタとしてコーヒーを入れる・・・朝からコーヒーの香りを楽しみながら、現地のビジネスマンともコミュニケーションをとれる仕事なんて、日本にいたままだったら、決して経験できなかった、とても贅沢で幸せな時間でした。 


(ファームで友達になったリアがブリスベンに会いに来てくれた) 

そしてもう1日はブリスベン観覧車でお客様が安全に乗り降りのサポートスタッフ&カメラマンをして、現地の方と肩を並べてのお仕事に感動しました。(ここは現地の方しか雇わないそうで、運がよかった!)そしてこの6年前まいた種(経験)のおかげで、英語がお仕事の幸せな今に巡り合えたような気がします。

だから読んでくださった皆さん夢があったら
Please do your best, and never give up
!行動すれば夢は絶対に叶います!
Best wishes, Jane.

英語コミュニケーション講座
講師 Jane