現在2023年の1月6日ですが、また時を超えた内容になりますがお許し下さい。
私がジュエリーデザイナーを志していた1980年ころ、一般人でも知っているジュエリーデザイナーと言えば
田宮千穂さんと田村俊一さんでした。
田宮千穂さんはもう絶対的な女神のような存在でした。
そのデザインセンスは比類なく、デザイン学校当時その作品が載っている本は生徒同士が奪い合って見たものです。
田宮千穂さんは1940年生まれ。藝大の工芸科彫金を卒業。同級生だった田宮模型の御曹司田宮氏と結婚。
田宮模型と言えばその頃から世界的企業でした。
そしてその後ジュエリーデザイナーとして活躍、ホンダのバイクのコマーシャルにも出演していた、正にスタージュエリーデザイナーだったのです。
素材の使い方が巧みで特にアールデコの作品は、目に焼き付きました。また具象でもどことなくひょうきんなアレンジが加わっていて、思わず笑みがこぼれてしまいます。当時雑誌に載っていた正倉院のイメージのデザインはデザインとはこういうものかと衝撃を受けたのを思い出します。
またその容貌も個性的で大胆。初めてお目にかかった時黒いマントをお召しになっていて、そのカッコよさに目を見張りました。その頃の学生はみんな田宮先生に憧れてデザイナーを目指したと言って過言ではありません。
47歳の若さで他界されたときには、業界中が悲嘆にくれました。
その葬儀の折には、ファンや憧れていた学生が長い長い列を作っていたのが今でも記憶に残っています。
私も、今でも、尊敬するデザイナーを聞かれたら、即座に田宮千穂さん!と答えます。
もう一人の著名なデザイナー田村俊一さんは、武蔵野美術大学出身。残念ながら今ネットで検索してみましたが、あまり出てきません。その時代にはネットが無かったので資料が無いのがとても残念です。
私の頼りない記憶をたどると、田村さんは1937年生まれ。著名なファッションデザイナーと一緒に仕事をした後独立されました。海外に講演に出かけたりジュエリーのパブリシテイにも積極的でした。当時赤坂にあった芝翫香と言うお店のメインのハイケースに二枚貝を使った大胆なネックレスがあり印象的で、ずっと見とれていたこともあります。
展示会ではいつもトップクラスの売り上げを記録する人気のデザイナーでした。特にカサブランカをモチーフにした大ぶりのブローチやイヤリングは人気で、展示会場には沢山の方が着けていらっしゃいました。
容姿も二枚目で晩年はシニアモデルもなさっていて、恋多き男性だったのか生涯私の知っているだけでも3回結婚(?)されていらっしゃいます。
私は展示会でご一緒の事が多く、何度もお目にかかっていましたが、コロナ禍でお会いできない時に亡くなられたのが残念です。
このお写真は80歳くらいの時のスナップ。お若くダンデイなのがおわかりでしょう。
他にもスターデザイナーはいらっしゃいました。
岩倉康二さんです。
この方は第一番に挙げるべき方でした。
ジュリー界の草分け、第一人者と言って良いかと思います。
岩倉康二氏は大阪出身のジュエリーデザイナー。1952年、東京美術学校工芸科彫金部(現東京芸大)を卒業後、御木本眞珠工場を経てフリーのジュエリーデザイナーへ転進。1980年には東京国立美術館にてその作品がジュウリーアクセサリーとして初めて所蔵。過去には美智子皇后やモナコのグレース公妃への献上品を作成するなど輝かしい経歴を持っています。ジュエリーを芸術であると同時に、商品としても世間に知らしめた方でもあります。
当時、日本一の展示会と言われた西武高輪会で、「一日一億」の売り上げを作る正に伝説のジュエリーデザイナーでした。その造形と色彩は限りなく美しく色彩の魔術師とも言えるでしょう。
サイドに配置されたメレーの大きさや色に合わせて、シャトンも高さも変えて出来上がったジュエリーのバランスと美しさは目を見張るばかり。私も展示会でご一緒したことがありますが、お客様の席から席へ蝶の様なフットワークで移動する様はまさに神のように見えました。
ここまで書いて気が付きましたが、ネットに資料が残っていない作家は忘れられていくものですね。
作品集などを出しておかないといずれ忘れられることになります。
どうぞ皆さん、資料をネットに残して置いてくださいね。
まだまだ伝説のデザイナーはいますが、今回は特に華のあった方について書きました。
いずれまた書きますが、私の嗜好も入りますのはお許しください。