私の病気のことは外部には内緒にしてありましたので、いつまでも休んでいるわけにもいかないので徐々に再開しましたが、出張で新幹線や飛行機にも乗らなければならず、気圧の違いでまた再発するのではととても心配でした。

 

5月にいつも開催していた個展も延期になっていていましたし、その頃は学校を引きつ継ぐ話も進んでいました。

アテナ宝石デザイン研究所は藤村民夫、澄江夫妻が開校した業界でも実績が認知されている伝統ある学校です。

しかし民夫先生がご病気になられ、澄江先生の階段から激しく落下し健康を害していたことから、2009年に閉校することになっていたのです。2008年澄江先生からその旨のお手紙を頂いた折、プロのデザイナーを沢山出しているこの実績ある学校を止めてはいけないと思った私は、民夫先生と、同級生だった山本君と何回もあって、数百通も長いメールをやり取りしながら、学校を私が引き継ぎ山本君が主任講師を務めて再建する話がまとまっていたところでした。その折、突然の私の病気。

周りからしたらメールもつながらないスタッフに聞いても何も分からないという非常事態でした。

 

一方私は退院しても、このような状態で学校などとてもできないと思っているところでした。

サインするにも年月日を間違えるなど、とても100%戻ったとは言えない状態でした。

 

でも仕事は再開しなければスタッフも困る。学校もやらなければ話は白紙に戻って皆さんに迷惑をかけてしまう。

結局皆さんに助けられ、応援していただき、7月6日7日には新作個展「ミストラル」を開催したのです。

退院したのが4月ですから今考えられると、何をどうしたのかも分かりませんが、何とか完成させたのだと思います。

そして学校も山本先生を主任講師としてお迎えし8月に開校しました。

2009年は嵐のように過ぎて行きました。