こんにちは。
ちょうど一年前。
こんな記事を書いたことがありました。
あれから見事沼に頭の先まではまり込み、既に泥中頭の先まで、という状態になりました。
…というのはいいすぎですが、Vtuber…広義ではストリーマーのことを色々と知って、それまでの配信者に対する視点はかなり変質しました。
特に自身に対して影響が大きいのは、日常における時間的な専有率です。支配率と言い換えることもできます。
毎日、或いは隔日で提供される膨大なコンテンツ量。
複数人の配信を見ようとすると、すぐに人一人の可処分時間では捌けない情報の奔流が襲ってきます。
▼見る方は嬉しい長時間大型企画、リアタイすると1日つきっきりです。
ライブ配信の特徴として、動画編集を挟まない実況スタイルなので毎日数時間に及ぶ配信になりがちです。
多数の学生や社会人のサイクルで一日に使える余暇は、他の趣味や学習、知人や家族との時間を計算に入れるとそれほどありません。
そんな中で、一本が映画かそれ以上のボリュームで供給されてくるので、自制できなければ私生活は侵食されていきます。
動画配信や実況に限らず、この世にはあまりにも沢山の娯楽が溢れています。
そんな中で、記憶や経験値を得る時間対効果を意識するようになる、「タイムパフォーマンス」、タイパという考え方が生まれるのは自然な流れだったのかもしれません。(動画の切り抜き文化も、需要を考えると必要から生まれたものでしょう)
勿論、自身の考えとしては映画やアニメを早送りしてみる、なんてことは決して出来ません。
その間に込められた空気や行間、そのものが作品を形作る一因だと思っているからですが、摂取したいものや形は人それぞれだとは思います。
その摂取の仕方が必要であり、多くのコンテンツを限られた人生の中でより多く享受する手段なのだとしたら。
相入れることは出来ずとも、理解をすることは出来ます。
ゲーム実況などに関しても、昔は自分でやっていないゲームを配信で見るなんてとんでもない、と思っていて、その考え自体は残っていますが、こと優先順をタイムパフォーマンスの観点に置くと、合理性は見えてきます。
推しの活動とゲームの内容を知ることが出来て、手は動かすことが出来る。
ゲームの内容と推しが楽しんでいる姿、それにながら見なら他のことも一緒にできる。
そういう形に最初から抵抗が無ければ、色々な需要にマッチする事もあるでしょう。
▼私はゲーム配信に関しては、ストーリーがちゃんとあるものは自分が一旦クリアしたものしかみない自分ルール。マイクラやスプラなど、ストーリーに絡まないものは触れやすいです。
というところで、推し活とタイパは切っても切り離せない関係にあるな…と思って書いたエントリーでした。
大前提として、私としてはコンテンツはクリエイターや提供者の望む形態で享受したいものです。ですが、自分の人生は一度きりで触れたい経験が溢れて溢れて仕方ないとしたら、どの価値観を優先順位に据えるかということなのかもしれません。(作品を見たという結果を得るために倍速再生することは、自身では許容できませんが目的は理解出来る、という感じです)
配信動画の視聴自体はとても良い娯楽であるのですが、自制というものを意識しないと大変なことになるよ、なったよ、という話でした。
あれ、そんな話だったか…?
そんなわけで、一年前歌唱力に感動した星街すいせいさんの音楽は今年も聴き込んで行く所存です。
オススメです。