フランス滞在4日目に40年の歳月を遡る | 野村眞里子のブログ <オラ・デル・テ>

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2月3日(土)。オンフルール近くの街道筋のホテルで目が覚めた。

 

この日は二つ計画があったので、少し早めに朝食をとって、チェックアウトをするつもりだった。でも、私の考えていたよりもずっと早く掃除のお姉さんが来た。激しくノックされたのでドアを開けると、「あら、まだいたの」という顔だった。

 

(12時チェックアウトだっていうのに、なんで9時台に掃除に来るかな? さすがフランス。)(笑)

 

怒っても仕方ないので、荷物を持ってフロントへ。到着時に私を出迎えてくれて、少しだけ体に触らせてくれたホテルのかわいい飼い猫が、ソファで寝ていて、癒された。

 

 

 

 

 

まずこの日の計画は、詩人シャルル・ボードレールの母の再婚相手であるオーピック将軍が老後のためにと買っておいたオンフルールの別荘――「おもちゃの家」と呼ばれる――の近くにあるわずか200メートル足らずの通り、シャルル・ボードレール通りに行くことだった。40年前は学生で若かったので、旧港から坂道を登って行った記憶があるが、今は年をとってなおかつ膝に怪我までしている。フロントでタクシーを呼んでもらうことにした。

 

でも、フロントの人も、タクシーの運転手さんも、「オンフルールにそんな名前の通りがあるなんて知らなかった!」と言って驚いていた。

 

タクシーを下りると、しとしと雨が降っていた。でも、この通りにはなんとなくこんなお天気が似合っているような気がした。そして、このあたりから見える風景は、散文詩『パリの憂鬱』の「港」をまぎれもなく思い起こさせると感じた。

 

 

 

 

 

 

何枚か写真を撮ってから、坂を下り始めた。そして間もなく、第二の目的地であるウジェーヌ・ブーダン美術館に着いた。学生時代から数えて二度目の訪問だが、驚いたことに今回受付の方にこう言われたのだ。

 

 

 

 

 

「マダム、杖をついていらっしゃいますね。脚が悪いのですか? でしたら、入場料はいただきません。どうぞそのままお入りください。」

 

何と、私は怪我のせいで、4ユーロ50の入場料が無料となってしまった! フランスのこのホスピタリティーには驚いた。

 

3階と2階、とりわけ2階――日本式の3階――のウジェーヌ・ブーダンのパステル画のコーナーは丹念に見た。

 

ブーダンは、35歳の時クールベと出会い、後にクールベの紹介で出会ったボードレールは、ブーダンのパリのサロンへのデビュー時に彼の才能を高く評価し、美術批評「1859年のサロン」でブーダンについて書いた。ボードレールが書いた文章が絵といっしょに展示されていたが、旅先のため和訳は省略。(笑)

 

 

 

 

 

一通り見てから1階の受付脇の売店で、40年前に買ったものとほぼ同じ絵葉書を買った。6枚。そしてウジェーヌ・ブーダンの冊子。

 

 

 

 

 

でも、それらの絵葉書を見て思ったことは、見ていると「全部欲しくなる」ということ。選ぶのは難しい。そう、40年前に「全部」とおっしゃったS先生が残酷だったのではなく、「2,3枚どうぞ選んでください」と言った私の方が残酷だったのかもしれない、と思った。(笑)

 

積年のもやもやが、ひとつ解消したような気がした。

 

その後は、サント・カトリーヌ教会近くの店でスタッフや夫へのオンフルール土産を買って、バスに乗る前にランチを食べることにした。選んだのはまたしてもカジュアルなレストラン「ACT II(第2幕)」だ。

 

一番安いプリフィクスのコース(17ユーロ)と生ビール「1664」を注文した。ビールには久々オリーブまでついてきて、嬉しい。

 

 

 

 

 

前菜はテリーヌを選んだ。

 

 

 

 

 

メインはハムのグリル。いい味。

 

 

 

 

 

エスプレッソ。

 

 

 

 

 

シャルキュトリー好きなので毎回同じようなものばかりになってしまうが(笑)、私としては大満足。おいしかったです。ごちそうさまでした!

 

 

 

 

 

こうして、順調にランチを終え、13時22分発のドービル行きのバスに乗ってドービル駅に着いた。でも、どんなに順調に思えても、落とし穴があるのがフランスだ。この日、ネットでチケット予約をしようとしてもうまくいかなかったので、窓口で買おうとして並んだ。ところが、私の前の女性が叫んだりしていたので、少々嫌な予感はしたのだが――。

 

「パリまでのチケットを一枚ください。」

「今日はありません。」

「えっ? どういうことですか?」

「工事がありますから。明日パリに行ったらどうですか?」

「明日では困るんですけど。」

「それじゃ、あそこのWiFiコーナーでみんな探しているから、あなたもいっしょに探したら? バスの便ならあるかもしれませんよ。」

 

見ると、WiFiコーナーで旅行者が途方に暮れたような表情でスマホをいじっていた。でも私は引き下がらなかった。

 

「ドービルからが工事でダメなんですよね? ル・アーブルからだったらチケットはありますか?」

「それは、いい考えだわ! ル・アーブルからならチケットはたくさんあると思いますよ。」

 

こうして、私は前日パリから来た時に経由したル・アーブルに再び行くことにした。そしてその前にまずはネット予約。すぐに取れた!

 

バスでドービルからル・アーブルに行くことも可能だが、ここは少々ぜいたくをしてタクシーに乗ることにした。タクシー乗り場でおしゃべりに興じていた三人に聞く。「少し遠いですけど、ル・アーブルまで行っていただけますか?」

 

「あら、私の順番よ。みんな、悪いわね」と女性運転手が嬉しそうに言った。道もいいし、快適なドライブになることは間違いなかった。

 

こうして、まさかの国鉄の工事運休で鉄筋コンクリートの町に戻ることになってしまった私。今回も街の散策は出来ないが、そのぶんじっくり車窓の景色を眺めた。写真は駅舎。

 

 

 

 

 

(廃墟から再生した街ル・アーブルは、私たちを元気にしてくれる!)

 

18時1分、ル・アーブル発。列車の遅れもあって、パリに着いたのは21時半を回っていた。しかも、私が乗る地下鉄14号線は「週末の工事」のため止まっていた。仕方なく地下鉄職員に迂回ルートを聞いたが、あまりにも遠回り。疲れすぎていて、お腹もかなりすいていたので、3号線「オペラ」駅で下りて、タクシーに乗ることにした。ここからホテルまではすぐなのだ。

 

ホテルに戻る。2日間使えなかったWiFiの状況を聞くとどうやら復旧したらしい。そこで、安心して近くで夕飯を食べることにした。

 

とはいえ、パリでは22時半は夕飯には遅い。すでにあちこちの店が閉まっていた。もちろん、中国人経営の寿司、焼き鳥、たこ焼きの店なら開いているが、日本人の口にはまったく合わないため、入ろうとは思わなかった。そこで、インド料理店に入った。

 

お店はきれいで、しかも超満員。私は窓際の一人席に案内していただいた。

 

 

 

 

 

(さあ、カレー食べるぞ!)(笑)

 

注文したのは、ビール、シーク・カバブ、ラムのビリヤニ。それにしても、あり得ないほど量が多い! シーク・カバブは何とかなったが、ビリヤニは7~8人前あってとても無理だった。味は良かったのに。残すの悔しい。ワインはグラスワインがなくて、ハーフ・ボトルの赤ワイン「ソミュール」になってしまった。この店、何から何まで多い。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

ホテルに戻り、荷物をほどく。残りあと2日なので帰国準備も始めなくては。

 

さて、私の第2幕――むしろ最終幕?――はどうなるのだろうか? 来週東京に戻ると、一気に公演のことが進むに違いない。