フランス滞在3日目に港町オンフルールを訪問 | 野村眞里子のブログ <オラ・デル・テ>

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2月2日(金)。フランス滞在3日目となるこの日は、ノルマンディー地方の美しい港町オンフルールを訪ねた。この前ここに来たのは大学院生の頃だから、実に40年ぶりぐらいの訪問だ。

 

昔は海外旅行のやり方も今とは大きく違っていた。クレジットカードがなかったので、旅行小切手と現金で旅費を持参し、その都度必要なだけフラン(注:ユーロの前のフランスのお金)に両替をしながら使った。

 

学生で、もともと持ってきたお金が少なかった私は、本以外のものはほとんど何も買わず、1ヶ月間を質素に暮らすつもりだった。

 

ところが、フランスということでその1ヶ月間に多くの知り合いがフランス旅行で訪ねてきた。特に、私が住んでいたサン・マロはモン・サン・ミッシェルに近かったため、就職した同級生や大学院の先輩後輩が次々にやって来て、何度も案内させられた。そして、その都度旅費(バス代)や食費(レストランでの会食)がかさんだ。

 

「もう、誰とも会いたくない!」と叫びたいほどだった。(笑)

 

そして、オート・ブルターニュ大学での夏期講座が終わってパリに戻った私は、お金がない中でも帰国前に行きたいところがあった。それがオンフルール! 当時、私が修士論文のテーマに選んでいた詩人、シャルル・ボードレールゆかりの町だった。

 

でも、どうやって行こう? と考えた。バスで行くパリからのオプショナルツアーはたくさんあったが、高くて到底手が出ない。そこで、私はオンフルールの最寄り駅まで国鉄で行き、あとはヒッチハイクをすることにした。(笑)

 

そして、うまく行った! 

 

行きは、パリから来たオプショナルツアーのバスの運転手に頼み込んでただで(!)乗せてもらい、帰りは、オンフルール観光にみえた中年ぐらいの――もうはっきりとは覚えていないですが――親切なご夫婦に、車で駅まで送っていただいた。

 

こうしてやっとの思いで行ったオンフルールで、私は町を散策し、ウジェーヌ・ブーダン美術館を訪問することができた。お土産など買う余裕はまったくなかったが、それでもウジェーヌ・ブーダンの書いた雲と海の絵ハガキ7~8種類を自分用に買い、両親のためにカルバドスを1本買ってパリに戻った。

 

ところが、パリに戻ると、おそらく帰国の前日か前々日、パリに長期留学――ご本人は「遊学」と言っていらした――されていた大学院の先輩が、お友達2人を連れてホテルの私の部屋になだれ込んで来た。「買物に来てたら、急に雨が降って来ちゃって……。ちょっと雨宿りさせてよ。」

 

当時、大学院というところは完全なる縦社会だった。先輩の言葉には絶対服従。指導教授に関してはもっとすさまじく――というか、はっきり言っておかしい!(笑)――、「先生がくしゃみをされたら、先に風邪をひいて待っているぐらいのことをするのが弟子のつとめ」と、教務助手から厳しく言い聞かされていた。

 

運の悪いことに、T先輩は机の上にあったカルバドスを見つけてしまった。「あら、いいものがあるじゃない。これ、みんなで飲みましょうよ!」逆らえるはずもなく、両親へのお土産はすぐに空いてしまった。(笑)

 

帰国後、授業では私のオンフルール滞在が指導教授の関心を引いた。

 

「オンフルールではどこに行きましたか?」

「港とシャルル・ボードレール通りとウジェーヌ・ブーダン美術館です。」

「何か買いましたか?」

「はい。こちらの絵葉書を買いました。」

 

S先生は、絵葉書を1枚1枚じっくりご覧になった。何か言わなければならない雰囲気だった。

 

「もしお気に召したのがありましたら、どうぞ2~3枚お取りください。」

「2~3枚? どうして全部じゃダメなんですか?」

 

こうして、私のオンフルールでのお土産は、先輩と指導教授によってすべて取り上げられてしまった。今回、その積年の思いが、果たしてどうなるだろうか?

 

2月2日、1時間半ほど余裕をもってサン・ラザール駅に向かった。前日の「憎きツーリストインフォメーション」には、ガードマンがいた。これなら「偽職員」は入れないだろう。(笑)

 

 

 

 

 

スターバックスでコーヒーを頼んだら、普通にフランス語で注文したのに、スペイン語で紙コップに書く名前を聞かれてびっくり。もしかして私、東洋系スペイン人に見える?(笑)

 

改札が始まったのでホームに入ったとたん、車椅子を持った正真正銘の国鉄職員が飛んで来た。私が杖をついていたのを見てやって来たようだ。ありがたく座らせていただき、ホームのかなり先の方まで送っていただいた。そして、「えいっ!」という掛け声とともに車椅子ごと列車の中へ。これには驚いた。

 

もちろん通路は狭いから通れないので、車椅子はそこまで。後は、ゆっくり手を引かれて――申し訳ないぐらい――、座席に案内された。「それでは、よいご旅行を!」チップも何も必要なかった。

 

 

 

 

 

 

12時58分頃、列車は「コース間違いによる遅延」(?)のため、10分ほど遅れてル・アーブル駅に着いた。

 

第二次世界大戦末期の集中空爆で、廃墟となってしまった街ル・アーブル。しかし、建築家オーギュスト・ペレの指揮の下、当時は未知の最新素材だった鉄筋コンクリートを用いて、街全体を再建するという壮大な計画が実現した街でもある。そして、今では世界遺産にも登録されている。

 

ウクライナやガザ地区、そして能登半島――戦争や災害で家や故郷を失うという悲惨な状況が世界中で起こっている今、奇跡的に再建された街ル・アーブルを訪れることは、私にとっては重要なことだったかもしれない。

 

残念ながら体調の関係で街の散策はかなわなかったが、列車やタクシーの車窓から、不思議に美しく調和のとれたコンクリートの街の景色を眺めた。

 

ホテルはオンフルールの町から少し離れた街道筋にあった。少し休息をとってから、20時近くに夕飯をとるため徒歩で町に向かった。通りには人っ子一人いない。

 

「フランスの美しい町/村」のひとつとして絵葉書にもよく登場するオンフルールの旧港に近づいた。私自身は昼しか来たことがないので、しばしその夜景に見とれ、何枚も写真を撮った。

 

 

 

 

 

 

 

ガイドブックや旅行サイトに載っているような有名レストランは高くて――軽く100ユーロを超えてしまう――とても無理なので、旧港に面したカジュアルなレストラン「cap42」に入った。まるで、アニメの主人公のように美しいギャルソンが、温かく迎えてくれた。

 

 

 

 

 

お財布にも、胃袋にもやさしそうなプリフィクスのコースを選んだ。前菜とメインで19ユーロ。追加で赤ワインのデカンタとコーヒーも頼んだ。

 

 

 

 

 

前菜に選んだのは、温かい山羊のチーズのサラダ。

 

 

 

 

 

メインは、家禽のエスカロップ、フリット添え。

 

 

 

 

 

 

値段も、量も、味も大満足だった。ごちそうさまでした!

 

帰りがけに、思いがけずギャルソンに話しかけられた。

 

「どこの国の方ですか? どこから来ましたか?」

「日本です。東京から来ました。」

 

すると、急にギャルソンの顔がほころんで、日本語になった。

 

「フランスはどうですか? フランス人は好きですか?」

 

ヨーロッパでは、「フランスにフランス人さえいなければ、もっと素敵な国なのに」とよく言われている。「感じの悪いフランス人」はヨーロッパでは嫌われ者なのだ。(笑)

 

ギャルソンがそのことを知っていたかどうかはわからないが、私は彼の風貌と日本語が少し話せたことで、ひとつの確信を持った。

 

(きっと、彼は日本のアニメファンだわ! アニメキャラクターに見えたのも偶然ではなかったに違いない。それにしても、フランス人の美形の男の子がコスプレすると、アニメキャラクターを超えちゃうな~)(笑)

 

さて今日、私は40年前のリベンジができるだろうか? 楽しみだ。