杭州詩祭旅行① ~年末の日本から「元旦」の中国へ~ | 野村眞里子のブログ <オラ・デル・テ>

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明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

夫と私は、12月29日から中国の杭州の詩祭にお招きいただき、先ほど帰国しました。この間に日本でさまざまなことがあり、ショックを受けております。実は、私どもも航空機炎上の影響を受け、上海浦東空港の滑走路から今まさに飛び立とうとしていた瞬間、「今、羽田空港が閉鎖されました」の機内アナウンスが流れ、待機場に引き返し、飛行機から下りました。そして、空港近くのホテルで数時間待機後、別の飛行機で帰国しました。

 

中国では、インターネットが思うように使えないため、帰国してからのご報告になってしまいましたが、杭州詩祭旅行の記事をお読みいただければ幸いです。

 

 

杭州詩祭旅行① ~年末の日本から「元旦」の中国へ~

 

12月29日は長い一日だった。海外のアート・フェスティバル(芸術祭)やポエトリー・フェスティバル(詩祭)などに招かれると、到着後そのままものすごい勢いで前夜祭などに参加させられることが多いが、今回もまさしくそうだった。

 

5時起床。年賀状約600通を投函し――間に合わなかった400通は帰国後になります。ごめんなさい!――、財団関係の年末のあらゆる仕事を片付け、朝食を食べ、旅行の荷物を作り終えたとたん、10時35分に予約していたタクシーが来た。

 

14時30分発のフライトに乗るため、羽田空港第3ターミナルへ。車内で、夫がマスクを忘れたことに気づき、私が中国用のコンセントを忘れたことに気づく。航空券やパスポートやカードを忘れたよりはマシだけど。(笑)

 

 

 

 

 

今、中国旅行は本当に難しい。福島の原発事故の処理水問題を政治問題化した中国が、日本産のさまざまなものを禁輸措置にし、入国する日本人にビザを課しているためだ。そのため、夫と私は理不尽とも思えるあらゆる個人情報を中国政府に差し出して、ようやくビザを発給してもらった。

 

それでも、「ビザさえあれば何とかなる」と思って出かけたが、初日からさまざまな問題が私たちを悩ませた。

 

たとえば、自動チェックインが出来ない中国の航空会社を指定されたため、1時間の長蛇の列を作ってチェックインカウンターで手続きをしたこと。また、到着後の入国審査が厳し過ぎて長蛇の列ができてしまい、1時間以上かかったこと。

 

さらに、迎えに来てくださった詩人の田原さん――今回夫の招聘に尽力してくださった方――が、「今日は中国の『元旦』で金曜日だから、車の渋滞があるので、高速道路を使っても杭州まで1時間では行かれません。だから、地下鉄と国鉄を乗り継いで行くことになります」とおっしゃり、巨大な上海虹橋空港――英語だとレインボーブリッジ?(笑)――の第2・第1ターミナルをスーツケースを持って走りまくり、地下鉄に乗り、乗り換えるごとに3回も4回もセキュリティーチェックを受けて、ようやく予約してあったという超満員の高速鉄道に飛び乗ることができた。ふう。

 

 

 

 

 

それにしても、中国の高速鉄道は日本のものとはノリが違う。車掌さんも、ゴミを集めに来るスタッフも、「指定席券をお持ちでない方はいませんか?(←わららないけれど、たぶんこんなことを言っていたのじゃないでしょうか? 笑)」「ゴミはありませんか?(←同上)」と、信じられないほどの大声で叫ぶ。そして、次々に中国人乗客が大声でそれに応える。その喧騒の中、上海虹橋空港から60分ほどで杭州に着いた。でもそれで終わりではなかった。今度はタクシーに乗り換えて、中国人詩人――田原さんと詩人/写真家のヒョウさん――のお2人に夫と私の合計4人で、前夜祭会場に向かった。

 

タクシー乗車は約1時間。「中国は広い」というのを実感する、上海虹橋空港到着後から4時間強の移動だった。

 

(もう、ここまでですでにかなり疲れた……)(笑)

 

ようやく会場のレストランに到着。巨大で豪華絢爛のレストランではなく、シックで高級そうな隠れ家的レストラン「訪渓上」だった。タクシーが着くや否や、詩祭のスタッフが大勢で駆け寄り、夫や私の荷物をどこかに持って行ってくださった。

 

すでに前夜祭の夕食は始まっており、10人掛けの円卓が4つ。田原さんと夫と私の3人はもっとも高い席を用意されていた。入場すると、みなさんが拍手で出迎えてくださった。

 

 

 

 

 

(ありがとうございます!)

 

ところで、この詩祭は中国の詩人だけで行われるもののようで、招かれた30人強のうち、外国人は夫と私の二人だけだった。他に台湾から若い女性詩人が一人招かれており、その方も同じテーブルだった。これまでさまざまな国で開催されたフェスティバルにうかがったが、通訳がつかないものは実に珍しい。今回のたよりは、日本語の話せる田原さんと、運営スタッフで日本の大学で美術史を学んだことがある王さんのみだった。

 

料理はすでに10皿が出されていて、そのどれもがおいしそうだった。でも、中国独特の「直箸文化」があるため、取り箸やトングはない。大皿から自分の箸でとって直接口に入れて食べるのだ。発生源はいまだ不明としても、「中国でのコロナの大流行の引き金は直箸文化にある」と指摘した評論家もいたと記憶する。最初は少しためらったが、「郷に入れば郷に従え」でマネをすることにした。

 

ほとんどの料理が原型をとどめていないので写真を撮るのもはばかられるが、あまり崩れていないものをいくつかご紹介させてください。

 

セロリと玉ねぎと魚介の炒め。セロリしか残っていなかったので、食べるのを断念。

 

青梗菜の煮浸し。これもほとんどなくなっていたため、食べそこなった。

 

白菜と雲白肉(ウンパイロー)の蒸し物。いい味。

 

帆立のニンニク焼き。写真は私のお皿。帆立と白菜と雲白肉と三点を最初に食べた。

 

 

 

 

 

牛肉とマッシュルームの炒め。これはいくつかいただいた。

 

おこぜの蒸し煮。表側は食べつくされていたので、骨の下側と頭部分の身をいただいた。美味。

 

蟹の蒸し物。ビジュアルもきれいだったが、食べづらそうなので、食べるのを断念した。

 

 

 

 

 

東坡肉(トンポーロー)。本場の東坡肉に大感激。近くにあった饅頭といっしょに食べる中国方式をやりたかったが、不思議と誰もやっていなかったので――これは普通の食べ方であって、正式な晩餐での食べ方ではないのかな?――断念して東坡肉だけたくさんいただいた。至福。

 

 

 

 

 

鶏料理。丸ごと蒸したような料理だったが、調理法は不明。写真は、ほとんど食べつくされた状態だったものを、小皿に盛り付けなおして出してくださったもの。最高においしかった。

 

 

 

 

 

海老の唐揚げ。杭州名物のひとつらしい。

 

田原さん、夫、私の3人だけに麺料理。写真は取り分けられたもの。ものすごくおいしかった。

 

 

 

 

 

デザート2種。私は写真の小さいほう、夫は丸くて大きい方をいただいた。

 

 

 

 

 

フルーツはいちごとシャインマスカット。

 

飲物は、酒飲み用の赤ワインとアルコールがダメな人用の胡麻ドリンクの2種。赤ワインはイタリアやフランスの高級ワインが次々と出され、最後は発泡赤ワイン「ランブルスコ」まで出た。ちなみに、夫も私もすべての種類の赤ワインをいただいた。(笑)

 

宴会が延々と続き、すでに12時――日本との時差が1時間あるので、私にとっては翌朝1時――近かったのでそろそろお開きではと思われたが、主催者の女性、天水さんがマイクをもって〆の挨拶を始めたと思いきや、急に夫に詩の朗読をして欲しいと言い始めた。

 

(すごい無茶振りかも。)(笑)

 

「まだ着いたばかりで、本などはスーツケースの中です」と夫が断ったが、「短い詩でいいので、ぜひ!」とうながされ、あわててリュックからパソコンを出して、夫の詩としては比較的わかりやすいソネット形式の詩を一篇、日本語で朗読した。

 

(そしてぼくはきみを抱いて)          野村喜和夫

 

そしてぼくはきみを抱いて ひと夏が締めくくられた

恵みの夜の郊外から また始まる都市の日常へと

車で帰路を急いでいたら 丘の向こうで

花火の打ち上がるのがみえた

 

もしきみが助手席にいたら 歓声をあげただろう

ぼくはハンドルをにぎっていたので 愛する大地

愛する大地 そこから届けられる火の花束を

視野の片隅に認めていただけ、

 

でも十分だった 今年の花火の向こうに

去年の花火がみえ そのまた向こうに

おととしの花火がみえていた

 

のにちがいなく 空の奥で

いくつもの夏の終わりが連なって

夜の喉のようにすぼまり それが永遠

 

日本語での朗読にもかかわらず、大きな拍手をいただいた。そして、その後は天水さんが次々と若手詩人を指名し、10人ほどが朗読をした。みなさんスマホを見ながらの朗読だった。

 

「もしかして全員朗読するのかな?」と思ったが、12時半ぐらいで終了となり、少し胸をなでおろした。(笑)

 

その後、車でホテルまで送っていただくことになった。でも、夫と私及び中国の代表的詩人、北島(ペイダオ)さんだけ、他の中国人詩人たちのホテルとは違う「びっくりするような場所」に案内されることになった。(詳しくはその2に続く。)