でたらめな季節          筑波古道と筑波山大御堂 | 黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

世間からかなりずれている管理人、黄昏黒猫堂こと黒猫が自作人形やイラストを発表しつつ、ニート、ひきこもりなど生きずらさを考える。(画像一覧で作品を見ていただけるとうれしいです。)

 

まるで春夏秋冬ないまぜだね

でたらめな季節に戸惑うのかい?

それよりでたらめを遊んでしまおう

 

(画像と本文は直接の関係はありません)

 

 

 「憧れ」たり、「侮蔑」することは容易いこと。難しいことは理解することだ。僕はいったいどれくらい自分や他者を理解しているのか? 「悪」がある種の感情に由来するものなら、それが自分の中にあることも正確には「理解」しにくいこと。「悪」はいつでも自分に内在している。そう考えた方が妥当で確実に思える。それが「自戒」と言うのだろうか?

 

 

 11月25日は久しぶりのライド&ハイク。忙しさの隙をついて出かけた。

 筑波山の近くのスーパーに排気量110ccの小型自動二輪、スーパーカブ110プロを停めてパンと飲み物を調達。コンビニより安いので財布に優しい。この小型二輪車はパイパスも一般幹線道路も林道も狭い路地裏もそつなくこなす。この日は筑波山参道一の鳥居近くにバイクを置き、筑波古道(つくば道)を歩き、筑波山中腹の大御堂を経て、山道をたどって筑波山の肩、つつじが丘まで。

 観光客は観光道路で筑波山神社までいくので、つくば道の一の鳥居を通ることはない。元々は神仏習合、修験道道場の中禅寺の門前町の入り口。鳥居の手前に小さな駐車場があって、そこにバイクを置く。ここが標高約100m。鳥居の向こうに筑波山が見える。

 明治新政府に廃された中禅寺の門前町として賑わった町だが、今は観光地から外れて静かな佇まい。住民の車が通れるように狭いながらも舗装されているが、一部は階段が残っている。ここは坂の町。たいした傾斜で、けっこう息が切れる。

 太平洋戦争前の昭和初期に建てられた郵便局庁舎。今は車道に面した所に移転しているが、古い建物は文化財として残され、イベントなどに使われている。近くに明治8年に開校した筑波第一小学校が。小学校が「第一」の名を冠するところからも、この町並みが往時はこの地の中心であったことをしのばせる。

 筑波山腹の旧門前町のつくば道を登って、標高240mの大御堂に着いた。中禅寺大御堂は明治政府により廃されたが、東京の護国寺の別院として復活。徳川家ゆかりの寺なので、葵の御紋がいたるところに。

 大御堂から振り返ると、そこは関東平野が見下ろせる。地平には東京(江戸)の街が。葵の御紋からもここが江戸(東京)を守護する結界の一部であることがしのばれる。

 大御堂のすぐ近くに筑波山神社。明治の廃仏毀釈で旧大御堂が取り壊され、その場所に寺域内にあった筑波山神社の拝殿が新たに建てられた。

 筑波山神社から筑波山の肩、つつじが丘(標高540m)を結ぶ迎場道。杉木立の中の小径は標高差が300mあり、ちょうどいい運動になる。一の鳥居からの標高差は約440m。バイクツーリングも兼ねたハイクには丁度いい。

 迎場道を抜けると、そこは紅葉の筑波山。

 つつじが丘は大きな駐車場、レストハウス、ホテルのある筑波山観光の拠点。ここからロープ―ウェイで山頂(写真中央の尖ったところで、標高877m)まで行ける。筑波山神社脇からケーブルカーで山頂に行くこともできる。ここはまさに観光地。

 帰りはふたたび迎場道をたどる。観光地筑波山にありながら、この道はほんとに長閑な散策路だ。

 筑波山神社の門。鳥居ではなく、旧中禅寺の山門で、これは取り壊されずに残されている。何かいわれがあるのかもしれない。見事な山門で、これだけ見ると、その先には寺院があるように思えてしまう。そして筑波古道(つくば道)で坂の町を降り、バイクを停めたところに。そこからも急な下り坂が続き、麓の水田地帯へと降りる。

 

 

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