光の風が立って       君の10年、僕の10年 | 黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

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世間からかなりずれている管理人、黄昏黒猫堂こと黒猫が自作人形やイラストを発表しつつ、ニート、ひきこもりなど生きずらさを考える。(画像一覧で作品を見ていただけるとうれしいです。)

 

光の風が立ったから

さあ 走り出そうか

 

(画像と本文は直接の関係はありません)

 

「日本の少年よ、君の10年はどうだったかね?」

 

 宮崎駿のアニメ映画、「風立ちぬ」の中で、主人公、堀越二郎の夢の中に、たびたび出てくる航空機設計家のガブロー二が、映画のラストシーンで、零戦の残骸の山を前に次郎に問いかける言葉だ。

 ガブローニによると、人間が一生のうちで、創造的な活動ができるのは10年ほどにすぎないという。映画では次郎が96式艦上戦闘機(96艦戦)を完成させるまでの過程が描かれているが、次郎はその4年後に、96艦戦をもとに零式艦上戦闘機(零戦)を完成させている。あの有名な零戦だ。そして、その期間が10年ほどになる。確かに二郎は創造的な10年を過ごした。しかし、その結果が、破壊と殺戮、おびただしい戦闘機の残骸の山となる。二郎はその皮肉な結末の後もなお、生きなければならなかった。ただ美しい飛行機を創りたいという思いが招いた悲劇の後を、彼は生き残ってしまった。

 「風立ちぬ、いざ生きめやも。」、作家、堀辰雄の言葉が響いてくる。

 戦後、国産の名旅客機YS―11が作られた。その後国産旅客機は作られなくなったが、一時代をつくった航空機だ。そしてその設計に関わっていたのが堀越二郎だ。今度は戦争と関わりのない民間機だった。

 

 「日本の少年よ、今度の君の10年はどうだったかね?」、ガブローニは、また二郎に問いかけたろうか?「風立ちぬ、いざ、行きめやも。」、二郎は別な、新たな10年を生きたのだろう。

 

 僕もかつて、ガブローニの言う「10年」を生きたことがある。そして、これから、また別な、新たな「10年」を生きてみたいと思う。そして、人にはそれぞれの「10年」があるのだと思う。「10年」とは、あくまでも象徴的な数字で、それは「30年」でもいいし、あるいは「1日」でもいいだろう。

「風立ちぬ、いざ、生きめやも。」という言葉で歩みだし、「君の10年はどうだったかね?」、と夢の中でガブローニに問いかけられた時、「悪くない。」と笑って言えたらと思う。

 

 

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