お化け屋敷なのかい?
いえいえ違います
人間除けに怖くしただけ
うつ病というのは
未来がなくなる病気だと思う
その日1日を生きることさえ
どれくらいの苦しみがあるか
もう朝がこなければいい
そんなことさえ思ってしまう
あの頃に比べれば症状はずっと軽いけれど、1日を生きることの重みを感じています。
日常の生活の中でも、結構未来を捨ててしまっていることはあると思う。別に大層なことでなく、ごくごくささやかなことだけれど、125ccか110ccの小型二輪で、日帰りツーリングで山の中を走りたいなんて思っているけれど、こんなささやかなことですら、「どうせできない。」とあきらめてしまいそうになる自分がいる。
小型二輪免許とはいえ、この歳で教習が通るのかなとか、教習料金がやはり高いなとか、バイクを買うとなると、それなりまとまったお金がいるなとか、バイクの維持費が家計を圧迫するかもしれないとか。バイクの置き場所の問題とか。通勤や買い物のための必需品の車と違って、家族にとってはなくてもいいものだから、どうしても遠慮してしまうし、僕以外に歓迎はされないと思ってしまう。それでいともあっさりと「どうせできない。」と思ってしまうのだ。
でも、そうなのかな?「できない」理由は、どんなものでもスラスラ出てくる。だから大概のものは「どうせできない。」で捨ててしまうのだけれど、たとえば、バイクのことなら、「まず、免許とってみよう。」から始めてもいいと思う。その先のことはわからないけれど、まずは「免許」が初めの一歩。その先へいけなくても、免許とれただけもいいと思う。未完で終わるのはダメでもなんでもなくて、やっただけの満足はあると思う。
まずはちょこちょこと節約して教習費用を捻出しよう。バイクを買うことは、免許を取ってから考えればいい(バイクのレンタカーもあるし。)。小型二輪なら割高にはなるものの、自動車保険に特約をつけられるし、これからのライフスタイルの一貫で考えてみてもいいし。なんせ荷物が詰めて、二人乗りで燃費がリッター50km以上で走るのだから。
ゆっくり、スローに考えればいいと思う。それに考えることは、とても楽しいことだ。小さいこと、大きいこと、いろいろあるけれど、未完で終わることをおそれさえしなければ、なんだってできるのだと思う。まあ、たかがバイクのことだけれど。
そういえば、不登校をしてくさっていた息子に、僕は「学校はどうでもいいから、小さなこと、些細なことを喜べ。」と言っていました(自分のことじゃないと何でも言えます。)。で、息子は紆余曲折しながらも、精神保健福祉士になって、元気に働いています。
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