この教師にしてこの生徒あり 良い子はマネをしないでね | 黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

世間からかなりずれている管理人、黄昏黒猫堂こと黒猫が自作人形やイラストを発表しつつ、ニート、ひきこもりなど生きずらさを考える。(画像一覧で作品を見ていただけるとうれしいです。)

 正直いって僕は学校が嫌いでした。小中高飛び越して、いきなり大学に入りたいくらいでした。だから高校受験の時の志望校の条件は、とにかくユルそうな学校でした。まあ、それでもあまり期待はしていませんでしたが。首尾よく私立の志望校に合格でき、入学して驚いた。ユルい、ユル過ぎる。これは夢か幻か。いや、現実でした。もう忘れられているでしょうが昔、「わしらは怪しい探検隊」なるものがあり、そのリーダーは椎名誠氏ですが(もう忘れられているかな)、そんな怪しさがありました。中学までの学校に不満を持っていた僕ですが、その落差にひと月ほどは戸惑いの連続でした。

中学までと違って、とても楽しい学園生活を送りました。先生たちもとてもユニークな方々がいて、それまでの教師像を壊してくれました。いろいろと武勇伝のある先生はいましたが、授業以外でも3年間関わりのあったK先生は恩師と呼んでもいいと思います。K先生は大学をいったんは中退して、配管工やらラーメン店員やら、いろいろと仕事を転々としながら、最後には夜学の大学を出て教師になりました。いろいろな世界を渡り歩いてきたK先生(他にも元船乗りやら元獣医やら、元のつく先生はいましたが)の授業はとても面白く、教科書の世界を飛び越し、生徒たちを魅了しました。今思うと相当ハイレベルな授業をしていたと思うのですが、そんなことを微塵も感じさせないものがありました。

高校を卒業するとき、K先生は大学の教員として引き抜かれたので、同じ年に学園を去りました(他にも大学の教員になって去られた先生がいましたが、僕は直接教わっていませんでしたので、奇人という話しか知りません)。母校に行っても、K先生はもういないのですが、僕も含め、僕の友人たちは何故かその後紆余曲折の人生を歩くことになりました。別に誰もK先生をならったわけではないのですが、不思議と社会のレールをはずれるようなことばかりをやらかしていました。何もK先生をマネたわけじゃありませんが、K先生の存在がなければそんな生き方はしなかったのではないかとも思います。その意味ではK先生は青少年を惑わしたとも言えるでしょう。みんなもうアラカンの年齢になりましたが、不思議と結果オーライでなんとかなっています。

もう時は過ぎ、母校はもうありふれた進学校でしかなくなっているようで、昔日の面影はなく、母校はもはや心の中にしかないと感じています。その思い出の教室の中で、アフロヘアのK先生が、「まあ、人生なんとかなるもんさ。」と笑っています。今となっては、僕の高校生活はお伽噺のユートピアに過ぎず、息子からすると、ありもしないネバーランドだということで、僕もそう思います。あんな世界はもうどこにもない。でも、それですませたくはないという想いも強くあります。

ただ、危ないので良い子はK先生のマネはしないでね。所詮、結果オーライなのだから。

でも、今、苦境にある人は、大丈夫、なんとかなる。

 

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