受験直前に父が結核療養所に 僕の大学受験 | 黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

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世間からかなりずれている管理人、黄昏黒猫堂こと黒猫が自作人形やイラストを発表しつつ、ニート、ひきこもりなど生きずらさを考える。(画像一覧で作品を見ていただけるとうれしいです。)

 大学受験も追い込みの高3の12月、クリスマスを前にして父が結核療養所に入院しました。検診で肺に病巣が見つかり、まだ目立った症状は出ていませんでしたが、菌を排出しているため、隔離入院することになりました。菌の排出が止まるまで退院はできません。現在は父のようなケースでは短期の入院で済むのですが、当時、1年は入院を覚悟しなければなりませんでした。下手をするともっと時間がかかります。自営業者の父にとってこれは死活問題でした。というより、僕の進学すらままならないことです。

僕は私大の文学部を志望していました。子供の頃はトレジャーハンターを夢見ていましたが、文芸色の強い高校で学ぶうちに、漠然とながらも、演劇を志すようになっていました。そこに父の結核療養。すぐに生活に困るわけではありませんでしたが、大学進学は難しくなりました。ただ、当時の国立大学の学費は子供の小遣いに毛が生えたようなものだったので、4年で卒業することにこだわらなければ、休学も含めて最長12年在籍できるので、アルバイトしながらでも卒業できると考えました。

 問題は家から通える国立大学の文学部が東大しかないことでした。合格の可能性は良くて五分五分というところ、悠長に浪人してられない身ですから、お話になりません。考えました。文学は果たして学ぶものか?どうせなら大学でしか学べないものを自分の肥やしにしたらどうか。結果、自宅から比較的近い国立大学の理系の入りやすい学科を受けることにしました。もともと理数系は好きで、むしろ得意でした。東大ならともかく、ランクを落とせば、得意な理数科目が入って、むしろ僕には有利になる。自分の文学に理系の要素を織り込むことは魅力的にも思えました。実験、実習があっても最長12年計画なら大丈夫。国立理系一本に絞ることに決めました。かなりこじつけがましいところがありますが。

 首尾よく合格できました。母校に合格の報告に行くと、ある先生が、「おれと同じ大学だな、俺は7年かけて卒業したぞ。」と言いました。おそらく担任から父のことを聞いていたのでしょう。それから父を見舞いました。「すまない。行きたい大学に行けなくて。」と言う父に、「SF作家にでもなるさ。それ、面白いだろ。」と言うと、「そうか、それならいい。」と父は言いました。母は訳の分からない文学部に入ることよりも、国立の理系学科に入ることを喜びました。くだらない、この人はいつもこうだ。僕は心の中で舌打ちをしました。

 一年生の時は、バイトに明け暮れましたが、それでも要領よく24単位とれ、まずまずのところ。そして1年して父が退院でき、事業を縮小して細々と暮らしていくことになりましたが、国立大学で学費の心配は全くないので(現在の国立大学の学費は決して安くはないですが)、問題はありませんでした。2年生でかなり単位をとり何とか4年で卒業できました。まあ、そのあとアンダーグラウンドの世界に飛び込みましたけれど。

 

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