お経の話です。なんだか抹香臭いな。
鬱病の時、仏教書も読んだ。
救いを求めていたわけじゃないと言ったら嘘になるけれど、
それよりも、世間から距離をとってみたくなった。
世間の中でグチャグチャになったから、
一度そこから離れてみないと話は始まらない気がした。
観無量寿経というお経がある。その一節に、
「南無阿弥陀仏と唱えるだけで十悪五逆の者も極楽浄土に行ける。」
そんなことが書かれていた。
五逆って、大雑把に言えば、絞首台に吊るされるような人たちだ。
そんな人たちも、ひとりももらさず救えなければ、
阿弥陀仏は納得しないらしい。
五逆の人には五逆の悲しみがあると。
それを救えずして何の如来かと。
まったくとんでもない絵空事だよ。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
でも僕はそれを綺麗だと感じたんだ。
すっからかんに宇宙まで続く青空みたいだ。
阿弥陀仏にだってかなわない願いはある。
でも、そんなことを願っている奴がいるってだけで僕は十分だ。
観無量寿経を書いた人は、それは絵空事だって知っていたような気がする。
それでも、僕はそれでいいと思う。
願いってさ、それがあるだけで十分なんだ。
たとえそれが嘘八百の絵空事でもね。
願いは綺麗じゃないか。それがなくなりさえしなければいい。
アニメ「フェイト・ゼロ」のテーマソングに、
「誰も泣かない、世界のために。」という一節があります。
「フェイト・ゼロ」はやりきれない物語だけれど、その根底には「願い」がある。
ブログランキングに参加しています。クリックしていただけると励みになります。