定時制高校には息子以外にも中学を不登校で過ごした生徒が何人かいた。彼らはその後不登校にならずに無事に卒業していった。おしなべて成績が良く、たいがいが進学していった。それじゃ、定時制高校はよいところだったのか。そうじゃない。世の中の矛盾が集まったところで、世間の隙間のような場所だ。けっして日の当たる場所じゃない。様々な事情で退学していった生徒たちもいる。
生徒たちはいろいろな事情をかかえて入学してきた。その事情には互いに触れないのが仁義のようなところもあったと思う。そこでは不登校もいろいろある事情のひとつに過ぎなかったのではないだろうか。僕の勝手な想像だが、「なんでここに来た。」と聞かれれば、「いろいろあってな。」、という言葉しか返ってこないような気がする。
いろいろあってな、が不登校児たちの心をほぐしたのかもしれない。一斉にひとつのことをさせる学校からはじき出された生徒たちにとって、皮肉なことに、いろいろある雑然とした路地裏のような場所が安心できる場所になったのかもしれない。
息子は、小学校は地獄のようなところだと言った。その延長の中学に行くこともできなかった。定時制高校は天国には程遠い。だけど天国のふりなどしない。飾ろうなどしない。問題があればそれに向き合い、力及ばなければ言い訳もしない。理想には程遠いけれど、嘘で塗り固めもしない。きれいごとばかりの一般の学校よりもよほど好ましく思えた。
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