まるで「あらいぐまラスカル」の世界 | 黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

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世間からかなりずれている管理人、黄昏黒猫堂こと黒猫が自作人形やイラストを発表しつつ、ニート、ひきこもりなど生きずらさを考える。(画像一覧で作品を見ていただけるとうれしいです。)

 父は動物たちに囲まれて育ちました。父の家には猫はもとより、犬やニワトリ、ウサギ、それから馬までいました。もちろんサラブレッドではなく日本のずんぐりした馬です。父は言いました。「馬はね。無理やり言うことを聞かせられないんだ。叩くなんて絶対しちゃいけない。」、そのせいかどうかわかりませんが、僕は父から叩かれたことがありません。父も祖父や祖母から叩かれたことはないそうです。ただ、僕の母は父の見ていないところで僕や弟を叩きましたが(厳格な家庭で育った母と、父との間には育児の考え方が違ったようです。)。それから、父は親からはぐれて弱っていたイタチの子を拾って育てて、野生に返したそうです。なんだか「あらいぐまラスカル」のような話です。でも、イタチじゃ、なんだかカッコがつかないですね。でも、僕は父をラスカルを育てたスターリング・ノースのようだなと思っていました。「動物学者になればよかったのに。」と僕が言うと。「あんまりそれが当たり前で考えなかったよ。東京に出てきて、ちょっとしまったかなと思った。まあ、人生いろいろだな。」、と父は笑って言いました。

 それから父は母と結婚して、家も持ったけれども、ついに動物は飼えませんでした。母が大の動物嫌いだったからです。そういえば、母の親戚で動物を飼っている家はひとつもありませんでした。父は僕と弟の前でだけ動物の話をしました。父に一番なついていた猫が、実家に帰省するとき日が暮れた夜道を歩いていると、どこからともなく現れて、父の肩にひょいと乗ったこと、その猫が父の帰省中に父の枕元で死んだこと。ほかにもいろいろ話してくれました。いつもいつも懐かしそうでした。父が癌で亡くなる前、入院する前に、まだ子猫だった黒トラ猫のサクラを連れて行って、父の膝に乗せたとき、父は嬉しそうにサクラを撫でていました。そして父は逝きました。

 僕の家には今、サクラとクーの2匹の猫がいます。僕は子供のころからずっと猫と暮らしたかった。自分で家を買って、ようやくその願いがかないました。妻も大の猫好きです。子供たちも猫がいないなんて考えられないと言っています。父さん、猫がいるよ。さすがに馬はいないけどね。ちなみに弟の家には犬がいます。ただ、どちらの家にも母はいません。それから、僕も弟も、母にいい思い出がないんです。

 

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