「すまん。」という父の言葉 | 黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

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世間からかなりずれている管理人、黄昏黒猫堂こと黒猫が自作人形やイラストを発表しつつ、ニート、ひきこもりなど生きずらさを考える。(画像一覧で作品を見ていただけるとうれしいです。)

 高校3年の時だった。僕は大学受験をひかえていたが、そんな時、父が肺の病気で、1年間病院で療養生活をすることになった。僕は子供のころ、トレジャーハンターになるのが夢だったが、その頃は、演劇の世界に進もうと思い、私大のその筋の学科を志望していた。でも、父の病気で、それは断念した。貯えもあり、すぐに生活に困ることはなかったけれど、1年間も父が働けないということは、学資の面で痛い。僕が私大に進学すると、弟が私大に進学することはむずかしくなる。

 僕は急きょ志望を変更して、自宅から通える地味な国立大学の理系の不人気学科を受験することにした。単純に入りやすいということもあるが、理系も嫌いなわけではない。もしもSF小説でも書けたらという気持ちもあった。でも、やはり気持ちはそがれた。

 それでもなんとか現役で合格できた。やはり穴場学科だ。病院に行き、父に面会して、合格したことを伝えると、父は一言、「すまん。」と言った。僕は、「気にするなよ。俺、SF小説書くのも悪くないって思ってる。」、と言ったが、それでも父は「すまんなあ。」、と言った。

 そんな父と反対に、母は大喜びだった。わけのわからない文学部に入るより、国立大学の理系学科に息子が入学することが嬉しかったようだ。母はいつだってそうだ。自分の快不快が何より優先で、子供の気持ちなどは考えてみたこともない。父は僕の落胆をみていたが、母には見えていなかった。演劇志望だって、父だからこそ許してくれたことで、母にしてみれば論外なことだった。僕は多少素行に問題ありだったが、不思議と勉強ができた。高校もその地域では名門進学校に入った。母はその僕の外面に得意顔だった。しかし、父は、「そんなことはどうでもいいことだ。好きなことを思い切りやることが大切だ。」、と言った。

 母は一度だって子供の内面と向き合おうとしなかったが、父は素の子供と向き合った。時には見透かすように、「そんなつまらないことは考えるな。」、と諭した。そういえば、父から叩かれたことは一度もない。母は、父のいない時をみはからって子供を折檻した。僕は、外面がすべてで、裏表のある母を信用できなかった。それだけに、父の、「すまん。」という一言が胸を打った。

 

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