その昔、村に道通さん憑きの婆さまが住んでいたらしい。 | 古民家の雑貨屋 アート工房 風 ふうさんの手しごと日和

古民家の雑貨屋 アート工房 風 ふうさんの手しごと日和

古民家の雑貨屋さん『アート工房 風』です。
岡山県の和気町で雑貨屋&クラフト工房をしています。
古民家をリノべして、沢山の雑貨を展示販売できるSHOPにしました。
隠れ家的な工房の日々の暮らし、ちょこっとのぞいて見てくださいな。

憑きもの筋について調べていて思い出した

のだが、その昔、うちの村のはずれに

魔女のような婆さんが住んでいたという。

 

 

誰もが気味悪がって取り合わない婆さまに

ウチのひい婆さんは、米が無いと言えば

米を分け、野菜が無いと言えば、野菜を分けて

いたという。

 

 

その魔女のような婆さまは、池の近くの川の側の

小屋に一人で住んでいたらしい。

 

蛇遣いだと言っていたとか・・・。

 

 

あるときその小屋に泥棒が入り、飼っていた

ニワトリを盗んでいったらしい。

 

そしたらその婆さま

「今、そやつに道通さんを憑けておいた。

 そのうち返しに来るじゃろう・・・。」

と言ったそうな・・・。

 

 

「きょーてー(怖い)婆さんじゃったで。魔女みてえな

 婆さんじゃった。ありゃあ、蛇つかいの婆さんじゃ。」

 

子供のころ父から良く聞かされた、村はずれに住む

婆さまの話。

 

今にして思えば、蛇の憑きもの筋の婆さま

だったのかもしれないな。

 

道通さまとは、首の周りに黄白色の輪をもつ

『トウビョウ』という小さな蛇らしい。

 

瀬戸内海地方にみられる蛇神信仰らしい。

憑きもの筋の本にものっていた。

 

 

憑きもの筋を調べていたら、九州や四国、

または、出雲地方には多いが、岡山には

ほとんどいない。

(県北で、狸憑きの家系があるくらい)

 

どこから流れてきて、村に住み着くことになったの

かはわからないが、こんなに身近に蛇つかいの

婆さまが居たとは驚きだな・・・。

 

もちろん、私が生まれる前の話だから、会った

ことも無いわけだが、なぜかウチのひい婆さん

にはなじんでいたとか。

 

 

自慢じゃないが、うちのひい婆さん、それはそれは

慈悲深い人だった。

 

朝起きたら登る朝日に手を合わせ、贅沢をぜず

朝から晩まで良く働いた。

愚痴を言うのを聞いたことが無い。

 

 

終戦後、戦地から引き上げて、山奥の里へ帰る途中の

兵隊さんが畑で仕事をするひい婆さんに声をかけたことが

あったらしい。

 

「今、私の持ち物は、このハンゴウだけです。

 これと交換に、その大根をもらえませんか?」

という・・・。

 

「こがな大根どうするんなら?生で食べても

 美味くねえぞ・・・ウチに来い。飯を食べさせちゃる。」

 

そう言って引き上げて来た兵隊さんに、白いご飯を

炊いて食べさせてあげたらしい。

 

オニギリを作って持たせたら、お礼にとハンゴウを

置いて行こうとした。

 

「これがのうなったら(無くなったら)アンタが

 今度米を炊くのに困ろうが、持っていけ。お礼はええ。」

 

兵隊さんは、涙を流しながら何度も、何度も頭を下げて

故郷を目指して歩いて行ったらしい。

 

 

「うちの息子も、どこかで誰かの世話になっとる

 かもしれん。これは、息子の為じゃ、気にするな!」

 

生きていると願う母心。

 

そのおかげかどうかは解らないが、祖父は

大きな怪我も病気もなく、無事戻った。

 

 

数年前、ひい婆さんの33回忌を済ませた。

 

33回忌を済ませたら、故人の魂は

この世とあの世を自由に行き来出来るらしい。

 

朝、東から登る太陽を見るたび、

手を合わせていたひいお婆の姿が浮かぶ。

 

 

苦労という苦労を全て体験してきたような

ひいお婆の人生。

 

それなのにとても信心深く、慈悲深い人だった。

 

そんな人だから、蛇つかいと恐れられていた婆さんも、

ひいお婆にはなじんでいたのかもしれないな。