「プロレスは勝ち負けだけの勝負ではない」って言っていた人がいたけど、この頃の菊地毅という人は本当に『敗けて己の価値を上げる漢』だったと思う。
当時の菊地の立ち位置といえば、ヘビー級の小橋健大と同様、ジュニア・ヘビー級の期待の新鋭。これからの全日本Jrを背負って立つ“希望の星”と目され、超世代軍に加入したこともあり、一気にその人気が高まっていった。
で、本来ならそこから破竹の快進撃を見せてもいいようなものだが、この頃の全日本の凄いところは、その希望の星を安易に持ち上げようとはせず、全力で潰しにかかるところ。
鶴田軍との6人タッグもそうだし、外国人との闘いにおいてもそう。体格的に劣る菊地に対し、手加減を加えるどころか、その身体が砕け散ってしまわんばかりの猛攻を浴びせ続け、そのまま勝利を奪ってしまう。
こんな試合を続けていたら、普通なら人気が下降してしまいそうだが、どんなに屈辱的な攻撃を浴びても菊地は必ず歯を喰いしばって必死に立ち上がり、明日の勝利を目指して、またガムシャラに全力ファイトを続ける。
どんなに屈辱的な敗けを喫しても決して恥じることなく、また翌日から全力疾走を続ける。だから見る者すべてがその背中を必死に応援したし、明日の勝利を共に分かち合おうと必死に彼の姿を追いかけた。選手とファンの、本当に理想的な関係がそこに築かれていたと思う。
『敗ければ敗けるほど己の価値を高める漢』、超世代軍としての菊地毅というプロレスラーは、本当に杞憂な存在だったと思う。
一方、ヘビー級の小橋は、敗れ続ける菊地とは異なり、確実に勝利も手にしていた。だが、この日放送された三沢、川田組との試合を見てもらえば分かるように、小橋も菊地同様に、壮絶なかわいがりを各先輩レスラー、及び外国人選手から受け続けていた。
特にこの試合においての川田の猛攻は、場外へのブレーンバスターなど、常識外れの非情な攻撃ばかり。同じ超世代軍の同軍対決であってこの激しさなのだから、本当にこの当時の全日本の凄さは計り知れない。
言い換えれば、それだけ団体を襲った大量離脱の余波は大きく、選手たちみんなが相当な危機感を持ち続けて、常にリングに上がっていた、ということだろう。
「プロレスはショーだから」とか、「あれって痛くないんでしょ?」なんてしたり顔で言う人たちに、この頃の全日本プロレスの闘いをぜひとも見てもらいたい。あと小細工ばかりに走る今のメジャー団体幹部の人たちにも…。
☆プロレスクラシック~伝承~
第39回放送ラインナップ
『1990年9月 小橋、アジアの頂点へ』
□1990年9月1日 東京・日本武道館
∇アジアタッグ王座決定リーグ戦
ジョー・マレンコ、菊地毅 vs ボビー・フルトン、トミー・ロジャース
【小橋伝承試合】
1990年9月17日 福井市体育館
∇アジアタッグ王座決定戦
小橋健太、ジョニー・エース vs ボビー・フルトン、トミー・ロジャース
ジャンボ鶴田、田上明 vs テリー・ゴディ、スティーブ・ウイリアムス
□1990年9月29日 東京・後楽園ホール
三沢光晴、川田利明 vs 小橋健太、ジョニー・エース
☆再放送 3月31日 (日) 3:00~4:30
4月9日(火)23:30~1:00 4月28日(日)1:30~3:00
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