2002年4月9日、東京・後楽園ホール。冬木軍興行の試合後に、冬木自身が大腸がんを患っていることを告白し、現役引退を発表した。
理不尽大王のキャラクターになってからは、リング上でムチャクチャなことを次々とやっていた冬木だけに、最初はこれも話題作りのひとつなのではないかと取材していた報道陣も、ほとんど真に受けていなかったようだ。
が、その日の大会にはまったく関係のない三沢がその場に立ち会っていたことで、ようやく事実なのだと認識。その5日後、NOAH 主催での引退興行がディファ有明で開催されることが、そこで同時に発表された。
それを伝え聞いたことで、ようやく我々もその引退興行をする意味が理解できた。WEWの設立はもちろん、それ以上に、これから本格的に始まるであろう手術を始めとした闘病生活。そのあらゆる意味で厳しい現実に立ち向かう友への、少しでも手助けになればという強い思いからの決断だったようだ。
我々社員一同が反発したときも、一切真実を語らずに自分の我が儘と頭を下げた社長の真意が、これでようやく理解できた。今でこそがんになったからといって、きちんと克服して社会復帰した人はいくらでもいるが、当時はまだ“がん=死”とイメージしてしまうほど深刻な病気。それを当事者ではない他人の口から、ペラペラと人に喋る訳にはいかない。
あの時点でその真実を知っていたのは、冬木本人から直接話を聞いた仲田渉外部長と、その報告を受けた三沢社長。そして社員一同に最初に伝えた某社員の3人だけだったようだ。
しかもあのときのあの社長の深刻な表情。恐らく、冬木さんの病状はかなり良くない状況であったのだろう。いつそのときに直面したとしても、決して何らおかしくはない。そんな鬼気迫る表情だったような気がする。
ただ我々社員はもちろん、その他の取締役たちも一連の報道を受けてその事実を知ったようで、詳しいことは何ら知らされることはなかった。そのためか、社長不在のときにはある役員二人がこんな会話をしていたことがあった。
「他人の救済もいいけど、まずはこの会社を救済してほしいよな」
「まぁ、それが社長の性格だから仕方ないよ。人への善意が、いつか自分たちに還ってくることに期待するしかないだろ(苦笑)」
そのときは“勝手なことを言ってやがる”と内心苦々しく思っていたが、今思えば、そう思うのも無理はないのが、あの会社のそのときの実状だった。前年4月には日本テレビの地上波中継も始まって当初の難局は乗り越えていたものの、それまでの負債が一気に解消される訳ではない。
1人の友人として、苦しんでいる友を何としても救いたい。その思いは人としては本当に素晴らしいことだと思う。だがこのときの三沢はプロレスリングノアという会社の代表取締役社長、我々社員とその家族全員の生活を支える身。せめて興行を折半にするとか、最低限の収益ぐらいは得てもいいのではないか!? と取締役の立場であれば思うのは当然のこと。
決して綺麗事だけで生きていける世界ではない。それでも、あのときの社長はその綺麗事を独断で最優先した。それが当時のNOAHという会社のいいところでもあり、悪いところでもある。
外部の人たちからすれば、それは美談で終わる話かも知れない。でも我々当事者からすれば、決して綺麗事だけで済む話ではない。
少なくともあの興行開催を決めて、終わるまでの一週間、会社はほとんどの人間がその興行にかかりっきりになり、他の業務は後回しになっていた。それが会社の運営として正しいのかどうか、その判断は難しいところ。だが社長がやると決めた以上、もはや黙ってやるしかないのが現実でもあった。
そして4月14日、東京・ディファ有明。遂にその日はやってきた。ここで私はまた、別の問題に直面することになった…。