まさかの緊急開催!冬木弘道引退試合秘話③ | 俺ってデビルマン!?

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知ってる人は知ってるし、知らない人はまったく知らない…私、元・週刊ゴングの鈴木淳雄と申します。かつて所属していたプロレス業界に限らずに、今現在の私をありのままに記していきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。

 三沢と冬木のシングルマッチ、その舞台となったのは2002年4月7日、有明コロシアム。


 同年2月にそれまで冬木が所属していたFMWが経営破綻し、3月に自らが主宰する形でWEWを設立。5月に川崎球場で旗揚げ興行を行うことを発表することで、積極的に多方面に話題を振り撒いていた時期だ。


 三沢とのシングルマッチは、全日本の若手時代に実現して以来での18年ぶり。片や三沢は王道・全日本で正統プロレスの道を邁進し、誰もが認める三冠王者として名実共に日本のトップに君臨していた。


 一方の冬木はWARで傍若無人な自己中男・理不尽大王と化してから、FMWでは面白ければ何でもアリのエンターテイメント・プロレスを標榜し、三沢とは対極を位置する形でのトップ・レスラーと成り得ていた。


 そんな二人が相対した有明コロシアム大会。当時のNOAHにとって一番のビッグマッチである同大会にマッチメイクしたことでも、三沢にとって特別な意味のある試合だったのだろう。


 冬木は自らが歩んできた道を正統派プロレスを支持するNOAHファンに見せつけるかのように、相棒の金村キンタローをセコンドに伴って悠々と入場。金村の肩にはパイプ椅子が担がれており、荒れる展開になることを予感させた。


 実際、試合では序盤こそ若手時代を思わせる基本に忠実な正統プロレスを展開したが、冬木の急所攻撃から一気に理不尽プロレスを展開。椅子、机を持ち出すや、セコンドの金村まで三沢に攻撃を放つなど、まさに何でもアリのハードコア・ファイトを全開した。


 それでも三沢は敢えてすべての攻撃を真っ向から受け止めると、自身は椅子や机などの凶器も一切使うことはなく、己の肉体のみを武器とする正統プロレスで対抗。フェイスロックやタイガードライバー、そして正調エルボーの三連発でキッチリと勝利している。試合後にはしっかりと握手し、一礼までする念のいれ入れようだ。


 思えばこの一戦は、互いに互いの歩んできた道をそれぞれが披露し、ぶつかり合うことで現状を確認し合う通過作業であったのかも知れない。そこにあったのはそれぞれのプロレス、いや、同世代二人による『俺たちのプロレス』である。


 道は別れて、目指すスタイルはそれぞれに違う形となったが、共に同じ釜の飯を食い、過ごした時間はしっかりと二人の中に刻まれている。その絆があるからこそ、三沢がNOAH、冬木がWEWとそれぞれに一国一城の主となってこれからの闘いに向けての、互いに送りあったエールともいえる。


 三沢がリングを去ると、冬木はリングから四方のお客さんに深々と頭を下げ、敢えて本来なら勝者のみに許された花道からの退場をしていた。


 観客もこれに罵声を浴びせることなく、声援で冬木を送り出した。同大会ではヘビー、ジュニア共に新日本勢も参戦していたが、こちらには対抗意識剥き出しで応戦していたNOAHファンだったが、冬木には常に暖かい視線を向けていたことが今となれば印象的だった。


 恐らく、三沢と冬木の絆が見る者にもしっかりと伝わっていたからこそ、そういった独特な空間が生まれていたのだろう。凶器やセコンドを使った攻撃も冬木の個性としてしっかり受け止め、二人のプロレスの世界に観客も一緒になって浸っていたといえる。





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